2015年12月31日木曜日

ギトリスが演奏するシャコンヌに人生の苦渋を感じる

数あるバイオリン曲の中でも,バッハの「シャコンヌ」はその最高峰に位置する作品の一つだということに同意しない人は数少ないだろうと思う.決して華やかな曲ではない.むしろ人生の深淵を表すなどといわれるように重苦しく,厳しさを感じる作品となっている.しかし,だからこそ何度でも聴いてみたいと思わせる名曲になっている.

名曲であるがゆえに,数多くの演奏の録音が存在する.以前にどこかのサイトで,個人でこのバッハのシャコンヌの録音だけで数百曲のCDを所有しているのが紹介されていた.少なくとも数百曲の録音があることは確からしい.

クラシック音楽を聴かない人からよく訊かれることのひとつに,なぜ同じ曲のCDを何枚も持っているのか,というものがある.でもロックだってポップスだって,同じ人の同じ曲の録音が複数あってそれを収集する人がいるわけだし,またジャズだって何年のどこどこでのライブ演奏が最高だなどというのだから,それと変わりがないのだ.ただクラシックの場合,演奏者によって同じ楽譜の同じ曲であっても大きく曲の印象が異なるのだから(たとえ同じ人,あるいは同じ指揮者&オーケストラの演奏であってもである),同曲異録音を収集しようという意欲は他の種類の音楽よりも強いのかもしれない.

シャコンヌで私が好きなのは,ギドン・クレーメルの新旧の録音が一番であって,長らくこれは変わらなかった.旧作は氷のように冴え渡った演奏だし,新作はパウゼの暖かさがたまらないという魅力がある.しかし,Youtubeなどの動画サイトでいろいろな演奏家のシャコンヌを聴くことができるようになって,ますます好きな演奏が増えている.ヒラリー・ハーンや庄司紗矢香などの若手もいいし,ハイフェッツスターンの巨匠たちの演奏もやっぱりいい(ここでもハイフェッツのカッコよさは抜きん出ている).でも,全然魅力的でない演奏も多いのも事実だ.途中で聴いていて再生を止めてしまう...一体,この差はなんなのだろうとよく思う.

しかし,とっても陳腐な言い方だけれども,演奏には演奏家そのものの人間性が現れていて,その魅力の差であるとしかいいようがないのも本当のことなんじゃないだろうか.音の強弱,フレーズの流れ方,そしてパウゼの取り方.それら音の扱い方に「その人」が現れる.その人の経験,もっというと生き方みたいなものが,演奏となって表現されている.というか,そうしたものを糧としてしか演奏ってできないんじゃないかと思う.若い人には若い人なりの解釈があって,巨匠には巨匠なりの演奏となる.音楽を聴くのだけれど,実は演奏者の「在り方」(平たく言うと「人生観」みたいなもの)に感動しているのではないだろうか.

最近の私のお気に入りは,ギトリスの演奏である.なんというか,人生の苦渋というか,諦念というか,ままならない「生」を感じさせてくれる.演奏を聴いた後,「そうだ,そうなんだよ」という言葉しかでてこない.これを文章で表すには,どんなに才能のある文筆家であっても言葉が足りないだろう.音楽でしか表せない「生」の本質があるということをこの演奏は示している.そして,表現者であるギトリスのこれまでの生を思う.

もしも,人生に「重さ」というものがあるのだとしたら,それを人に伝えるには「物語」か「音楽」しかないのかもしれなくて,それらを表現する人には十分な才能と経験が必要になるのだろう.だとしたら,それは私たちが本を多く読み,音楽をたくさん聴くことの理由になるのかもしれない.

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