2011年8月3日水曜日

身体感覚が優位であること

人間には得意なモダリティ(modality,五感)があるという.
一般的には,視覚が優位である人は思考が速いとか,
聴覚が優位である人はじっくり考えるとか,
そんなことがいわれている.

NLP(神経言語プログラミング)では,
人が話す言葉の中にも,その人の優位な
モダリティが何であるのかを示すものが
含まれているのだという.

たとえば,
「見通しが良くなった」とか,
「あなたの意図するところがよく見えない」とか,
「お先真っ暗だ」などと,
視覚に関係する言葉を良く用いる人は,
視覚が優位であるとか,

「心の琴線に触れる」とか
「It sounds good!」などの言葉が多ければ,
聴覚優位の人である,というようなものである.

もちろん,ある感覚だけが優位であるという人は少なく,
いろいろな感覚を場合場合に応じて強く使っている
とのことなのだが.

私はといえば,五感のうち
視覚,聴覚,身体感覚が強いような気がする.
特に身体感覚は人よりも優位であるような気がする.

だから
「ぐっときた」
「腑に落ちない」
「頭にきた」
などという言葉を多用しているような気がする.

武道の稽古やスポーツの練習をしている人は
特に身体感覚を大事にするので,
そうした感覚が発達するのではないかと思う.

イメージトレーニングをすれば,
身体中の筋肉が動き,じっとりと汗が出てくる.
身体では,実際に技を行っているような感覚がある.
再生される身体感覚.
そんな繰り返しが,身体感覚を発達させ,
自己暗示にかかりやすい体質に変化させていく.
(スポーツ,武道の世界では自己暗示は
必要不可欠な技術である)

実は今日,久しぶりにジョギングすることができた.
少し気分が晴れる.
体温が上がり,汗をかく.
脈拍も上がって,身体のギアが上がっていくことを実感する.
身体の感覚が,気持ちや感情に与える影響は強烈だ.
それにあらがうのは難しい.
だからこそ,身体を動かすことは
精神衛生的に大切なのだろう.
そして,身体感覚が優位である私には
その効果は絶大なのだろう.

走ることによって,自分は脳や心からだけで
できているわけではなく,身体と不可分であることを
実感することができる.
結局,人間も動物でしかないのだ.


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