「ルーシー」(2014年)(監督:リュック・ベッソン)
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先日、映画「ルーシー」を観た。人間は脳の能力のほんの一部しか使っていないという都市伝説(?)に基づいたファンタジー。最後のオチも予想がついた。L.ベッソンらしいクサイ脚本という印象。S.ヨハンソンの魅力だけでもっている映画かな。
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人間の脳は本当に少ししか使われていないのだろうか。
昔,「Night Head」という深夜ドラマがあって,そこでは確か脳の30%しか使われておらず,残りの70%はNight Headと呼ばれて,そこが開発されれば超人的な能力(超能力)を発揮できるという設定だった。たいへん面白いドラマだったと記憶しているけれど,この「ルーシー」も同じような設定が前提である。しかし,現在では,やはり脳はそのほとんどが活動していて,殆どの部位がなにかしらの役目を担っているという方が定説だと聞いている。脳が使用する酸素の量を考えてみてもそのような説の方が納得できる。
映画の最後のオチも想像できた。100%覚醒した脳をもつ人間は,人間として存在できなくなるに違いない。そして普遍的な存在に昇華する。ここらへんもありふれたSFのオチのように思える。
ルーシーという名前は,もちろん人間の祖先であるアウストラロピテクスの名前である。そこらへんもクサイ。最近,リュック・ベッソンの映画はちょっとコテコテの(使い古された)設定が多すぎるのではないか。もっと斬新な話の展開を期待したいなあ。
脳の本来の能力は,結局通常時どのくらい使われているのかわからないけれど,人間の身体,特に筋肉はその100%の能力は使われていないのははっきりしている。なぜなら,筋肉が100%の力を出したら筋肉が壊れてしまうから。だから心理的な限界があって,そこまで筋肉を使わないようにしているのである。それを越えるのが「火事場の馬鹿力」だなどと言われているけれど,私はそれは違うのではないかと思う。火事場の馬鹿力とは,単に筋肉のポテンシャルを100%使うことではなく,人間の身体をもっとも効率よく使うよう,いうなれば動物に近い動きをするように,本能が働くことなのではないかと思っているのである。(100%を使うとしたならばそれは北斗神拳である)
スカーレット・.ヨハンソンはいい感じである。主人公は普通の女性,いやむしろダメダメな女性で,全然イケていない,私の近くにいてもあまり近寄りたくない女性である。それをちゃんとS.ヨハンソンは演じている。人間のダメさ加減をちょうどよく演じている。そういった意味で,彼女の演技のうまさに惹かれた。この映画の救いである。
「ルーシー」は,人間の脳にはまだまだポテンシャルがあるのではないか,という希望的な願望あるいは「都市伝説」に基づいた作品である。話自体は月並だが,スカーレット・.ヨハンソンから感じられる人間の汚さ,澱,みたいなものが魅力となっている映画である。
評点(★5つが満点)
★★☆☆☆
2015年12月鑑賞
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