2011年7月25日月曜日

「世界最強」をあきらめたときにアマチュアになる

武道の世界においては,プロフェッショナルとアマチュアの境界は
厳然として存在している.

それはたとえば相撲であったり,将棋であったり,
圧倒的な実力の差として存在している.
(そうでない場合は,「プロ」を名乗る資格が無いのではないだろうか)

では,その「線引き」はどのように決まるのだろうか.

私は,武道の世界においては,
それは,「世界最強」を断念した瞬間なのだとふと思った.

「世界最強」を目指して,毎日,どの瞬間にも,
人を倒すという技術を極めようとする努力を
継続しつづけてはきたけれど,自分の才能と
技量の限界を感じて,どこかで疲れてしまい,
「なにか」をあきらめてしまうのだ.

「最強」の追求には,「技の洗練」とは別の
「なにか」が存在し,それが不可欠である.
それが「なにか」,具体的に説明することは
たいへん難しいのだけれど,
それは確かに存在し,自分を突き動かし続ける動力で
ありつづけていたのだ.
しかし,それが失われてしまう.
そのとき,「世界最強」を断念する.

もちろん,勝負というものはその設定条件に
大きく影響を受けるので,「世界最強」という定義そのものが
あいまいであり,むしろそれは幻想に近いものだといえるだろう.
その場合,求めるものは「世界最強」から「絶対不敗」に変わる.
だが,「世界最強」と「絶対不敗」の間には大きな隔たりがある.
前者を「夢」「野望」とすると,後者は「悟り」というべきか.
後者の方が良いような気もするけれど,
前者の「夢」を追い続けていきたい気もする.

その「夢」をあきらめた瞬間に,
プロへの道を断念するのだとしたならば,
私はなんと早期にアマチュアの道を進み始めたのだろう.
自分の才能の限界を感じるのは早かったなぁ...

しかし,こうして「世界最強」をあきらめた人は
武道の稽古をなんのために継続するのだろうか.
そして,どうやってその矜持を持ち続けていけばよいのだろうか.
そして私は一体なんのために稽古を続けているのだろうか.

私は到底プロにはなれない.
道場の看板を命がけで守ろうなどという覚悟もない.
ただただ自分の技を磨くだけが目的となっている.
しかし,それでよいのだろうか.
この先,なにを考えていくべきなのか.

武道は,スポーツと異なり「気晴らし」ではないならば,
アマチュアはなんのために稽古を続けていくのだろうか.
私はこの先何を目的として...

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