2019年1月19日土曜日

Progress. Not perfection.

先日,知り合いの方のツイッターにマグカップの写真が上げられていて,カップには
"Done is better than perfect"
と書かれていた.アメリカのことわざのようなものらしい.素敵な言葉である.
それでいろいろと思いを巡らすことになった.

私が最初の職場で,上司から言われた言葉で忘れられないのが
「60点の出来でいいから締切を守ること」
である(残念ながら現在私は守ることができているとはいえないのだけれど).まずは100点を狙わなくていいからとりあえず及第点の資料を作成することが大切,いやとにかく動き始めることが大切ということを教えていただいた.仕事に少しでも取り掛かれば頭が動き出す.出来が悪くても時間さえあれば,それを見直してブラシアップすることもできる.クオリティをあげるのはあとからでもできるのだ.最初から完璧を狙っていては動きが取れなくなってしまう.

デンゼル・ワシントン主演のアクション映画「イコライザー」の中で主人公が言っていた言葉も忘れられない.
"Progress. Not perfection."
完璧が重要なのではない.進展があることが大事なのだ.大量の仕事に囲まれ,にっちもさっちもいかず,どうしようかと途方に暮れるとき,この言葉を思い出してとりあえず動くことを始めてみるようにしている.進展がなければ,完璧もありえないのだ.

2019年1月18日金曜日

ブギーポップは口笛を吹かない

「ブギーポップは笑わない」がまたアニメ化されている.私は20年ほど前にこのラノベに出会って以来ずっとブギーポップファンで(この「ブギーポップ」がラノベというジャンルの嚆矢だと思っているけど),このブログでも10年ほど前(!)にこの小説について書いているほどなのだ.

私の記憶によれば(というかWikipediaで調べればわかるけど),この小説はこれまでに実写の映画(吉野紗香!主演)と2度ほどアニメ化されているはずである.このアニメがたいへん雰囲気のあるもので,小説とは異なるストーリーであったけど,非常にクラい,不気味な(ブギーな)作品で魅力的だった.私は救いようのないクラさをもつアニメが好きだから,笑わない主人公がビターエンドに導くこのシリーズがたいへんお気に入りだった.

そして今年(いろいろあって昨年から今年に延期されていた),またアニメ化されている.ストーリーは小説にだいたい沿っていて,話の進め方も小説同様細切れだったりして驚いたけど,一体どれだけの人がこの展開についていけるのだろうかと疑問にも思う.小説を読んでいないと理解できないのではないかと思う.人気が出ないことを心配してしまう.

原作との違いも面白い.小説の挿絵のキャラクターデザインの人が怒っていたけれど,まず制服がセーラー服からブレザーになっている.これは好みが分かれるところ.

そしてなにより私が驚いたのは,ブギーポップが口笛を吹かないことである.原作では,彼が現れるとき彼の吹く少しぎこちない(?)口笛が聞こえてくるはずなのである.その曲はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガーの前奏曲」.あの大仰な旋律を物悲しそうな口笛で吹くのである.もちろん小説の紙面からは聞こえてこないけれど,なんとも想像力をかきたてるシーンじゃないだろうかと思う.その曲が聞こえてくると黒マントに身を包んだ「彼」が現れるのだ.なんて素敵な設定なのだろう.でも,それがこの新しいアニメにはない.「彼」はいつのまにか現れていた.うーん,ちょっと寂しい.

アニメはまだ3話までしか放映されていないので,これから口笛が聞こえてくるシーンがあるのかもしれない.登場人物たちの顔のデザインもいくぶん現代的で明るくなっているので,もっともっと設定とストーリーで展開を暗くしていって欲しい.なんたって「彼」は「不気味な泡」なのだから.

#2作目のブギーポップのアニメは,もうどうしようもなくクラいストーリーだったけど,当時まだマイナーだったスガシカオの歌がOPで流れていて,たいへん印象的だった

2019年1月15日火曜日

アウトプットをしていく

おかげさまでどうも私は社交的な性格と思われているらしい.たしかに,人見知りはあまりしないし,人と話すのも苦手ではない.しかし一方で,独りでいるのもあまり苦にならないのも事実である.週末どころか一週間くらい誰とも話さなくても問題ない.ひきこもりと言われても仕方がない.若い頃は,独り山に籠もって仙人のような暮らしをするのが憧れだった.別に山ごもりの修行というわけじゃないけど(眉毛を片方剃るとかしないし).

だから積極的に人と交流するということに,それほど重きをおいてきたわけではなかった.しかし,これからはちょっと変えてみようと思っている.とにかく私からいろいろと動いてみる.情報を開示してみる.そうして外界との関係を強くしてみようかと思うのである.結局のところ,外の世界に働きかけなければ,自分も環境も変わらないということにようやく気づいたということなのかもしれない.これまで,人と関わることがいくぶん億劫だったし,人間関係が面倒くさく感じることも正直あった.それでもこれからは外に向けてアウトプットをしていこうと思うのである.ずいぶん年をとってからの決心だけれども.

2019年1月12日土曜日

かまいたち

講義をしていると,いつのまにか指から血が流れていた.気づかぬうちに傷がついていた...というわけではなく,私の場合,単に古傷の口が開いたからである.しかし,このことでひとつの現象を思い出した.「かまいたち」である.講義を聞いていた学生に「かまいたち」を知っているかと尋ねてみても,どうもピンと来ていないようだった.最近は話題に上ることがない現象なのだろうか.

「かまいたち」は,いつのまにか手足が刃物で切られたように傷つけられていてしまう現象である.するどい刃物で傷つけられたような傷口だけど,不思議なことに血はでないのだという.

私の父は,昔「かまいたち」にあったことがあるといって,指にある刃物で切られたような傷の治ったあとを見せてくれた.いつのまにかこの傷がついていたのだという.昔はよくあったことのようだ.

「かまいたち」は妖怪のしわざだという話がある(妖怪ウォッチじゃないけれど).ある話によれば,かまいたちは3匹のチームになっていて,一匹目が人間を転ばして,二匹目が鋭い鎌で傷をつけ,三匹目がなぜか薬を傷あとに塗るのだという.だから傷口からは血が出ないことになっているのだ.漫画「うしおととら」においても,かまいたちは3人の兄弟妹の妖怪と描かれていた.

実際は,つむじ風などによって空気中に真空ができ,それが人間を傷つけるのだという話がまことしやかに語られてきた(すくなくとも私のまわりでは).でも今となってはそんな説を私は信じることができない.つむじ風程度で人間を傷つけるほどの真空ができるだろうか?なぜ人間の手足だけ傷つくのだろうか?なぜ衣服は切られないのだろうか?そう考えれば,そんな単純な原因で発生しているとは考えづらいだろう.とはいえ,良い理由は思い浮かばないのだけど.

しかし,最近「かまいたち」の話題を聞かなくなったのは少し寂しい気がする.私達のまわりから「不思議」が消えていくことは,世の中のワクワクが減っているような気がするのだ.妖怪のしわざと考えるほうが,ちょっと世の中すみやすい気もするし.

暑くて湿ったこの季節,ドライなカクテルが美味しい

長岡に来てのち,腰を痛めてしまい,なかなか生活の中に楽しみを見つけることが少ないのだけれど,最近は週に一度のスーパー銭湯通いとお酒をなによりの楽しみとしている. お酒は量を飲まないので,自然と美味しいお酒を少量というスタイルになって,バーに行くこともしばしばとなった. と...