2026年2月8日日曜日

慈眼温容(2)~小我を捨てる~

 「慈眼温容」が私には必要で,眉間にシワを寄せる癖を直すために努力を始めたという話の続き。

眉間にシワを寄せることをやめようと決意したのだけれど,ふと気づくと眉間にシワを寄せて歩いている。あるいは考え事をしているのである。眉間にシワを寄せることは本当に無意識的なものであり,それが癖になっているのだ。

そして,自分の心身を細かく見てみると,眉間にシワを寄せているとき,身体には緊張がいくばくかあることに気づいた。この少しの緊張の重大さについて考えてみた。

私が稽古している心身統一合氣道では「眉間にシワを寄せると氣が止まる」と教えられる。この武道では完全にリラックスした状態を統一体と呼び,この状態を維持することを目的としている。どこかに力が入っていると,この統一体が崩れるのだ。統一体である状態を「氣が出ている」といい,統一体が崩れている状態は「氣が出ていない,止まっている」などと表現する。すなわち眉間にシワを寄せるということは統一体が崩れるということを意味する。

心身はひとつであるとするならば,身体に緊張があるとき,心にも緊張があることを示している。私はこれまで「眉間にシワを寄せる」ということは,眉間に力を入れるということになるので,氣が止まるのだ,と単純に思っていた。しかし,「眉間にシワを寄せているとき,身体の奥深くにある少しの緊張がある」ということに気づいたときに,実は眉間に力を入れるのではなく,もっと心の奥深くで緊張を生み出しているということを実感したのである。

往年の大横綱,千代の富士に藤平光一先生が,千代の富士があるときから立ち合いの際に相手をにらみつけるのを止めた理由について尋ねたことがあるという。そのときに千代の富士は,誰かからもらった本ににらみつけると気が止まると書いてあったからやめた,と答えたとのことだけれど,藤平光一先生が私の他にそんなことをいう人が他にいるのかと思い,誰の本かと尋ねたところ,結局それは藤平光一先生の本だった,というオチなのだけれど,その話を伺ったとき,この意味は私には単に顔に力を入れることを戒めるものである思われた。

しかし,違うのだ。もっとこの話には含蓄があることに最近「慈眼温容」を心掛けるようになって気づいた。なにか外部からの刺激に対して,無意識に「抵抗しよう」とする心が起こっているときに眉間にしわが寄るのだ。ほとんど反射的に私は眉間にシワを寄せているけれど,それは単なる肉体的な癖なのではなく,心が無意識に外部に対し抵抗しようとしていることの表れなのだと気づいたのである。これは,これまで生きてきた経験の上に積み重ねられた癖(無意識の反応)なのだ。それはたいへん小さな気持ちなのかもしれないが,確かにそこには「我」を張ろうとしている自分がいる。反射的にそうしてしまっているのだから,相当根が深いことに気づいた。ただ,このことに気づいたのだから,この癖は直すことができるのではないかと考えている。

藤平光一先生は,別の機会には「小我を捨てて大我に生きる」のようなことをおっしゃっていた。「小我」とは外部に対して「我」をはる私を意味していたのかもしれない(単に「私利私欲」という意味ではなくて)。気づいたことは喜ばしいけれど,この修行の先の長さを思うと,「小我」を捨てることが死ぬまでに達成できるかどうか,自信が持てない。しかし,修行するしかない。息を引き取るまでにどこまで行けるか,それはそれで楽しみである。








慈眼温容(2)~小我を捨てる~

 「慈眼温容」が私には必要で,眉間にシワを寄せる癖を直すために努力を始めたという話 の続き。 眉間にシワを寄せることをやめようと決意したのだけれど,ふと気づくと眉間にシワを寄せて歩いている。あるいは考え事をしているのである。眉間にシワを寄せることは本当に無意識的なものであり,それ...