2014年7月3日木曜日

靴のカカトはつぶしてはかない

カール・ゴッチは,レスリングシューズの靴紐を締めるのに20分をかけたという.

先日,息子の靴の履き方を見てため息をついた.彼は,カカトを潰し気味に靴の中に足を突っ込み,その後ゴニョゴニョと足首を動かしてようやくカカトまでが靴に収まるやいなや,扉を開けて「いってきます」と出て行った.あれでは靴と足の一体感など無いに違いない.

私の中学時代,毎日全国で校内暴力のニュースが流れていて,私の通っていた中学校も例外でなく荒れていた.学校のあちらこちらでシンナーを吸った跡が見つかるし,水道の蛇口はみな外されていたし,トイレの鏡はなく個室のドアはみな壊されていた.不良の服装も男子は短ラン,女子は長いスカートという格好で,靴はカカトをペッタンコに踏み潰して履いていた.そんな感じだったから不良でなくとも,靴はカカトを踏みつぶして履くのが流行っていた.というより普通だった.

なぜかあの頃,通学用にキャンバス地の白いデッキシューズがとても流行っていて,私もそれを履いていたのだけれど(私はトップサイダーに憧れていたけれど,残念ながら月星の安いものを履いていた),靴を長持ちさせようと思って,カカトは潰さずに履くようにしていた.一方,不良と呼ばれる人たちはデッキシューズではなくなぜか靴底が薄いものを好んでいて,本当に底が薄い体育館履きのような靴を履き,歩くときは,ペッタン,ペッタンと音を立てていたものである.

高校に入っても,私の通学靴は白いデッキシューズか,コンバースのローカットのバスケットシューズという感じだったけれど,やはりカカトは潰さなかった.この頃になると空手道部で燃えていたので,そんなブカブカの靴の履き方なんて武道を稽古するものとして許せなかったからである.

今となっても,やはりカカトは潰さない.別にスリップオンが嫌いなわけじゃないし,サンダルもよく履いている.しかし,靴を履くならば,やはりカカトのホールド感は重要なのだ.いつでも動けるという安心感をそこから得ることができる.逆に息子がカカトを潰して靴を履いているのをみると,おまえはわかっていない,という気持ちで悲しくなる.

なにかあったときに足元が不安定で動けない,そんな怖い話があるだろうか.だから靴のフィーリングは大変重要である.ゴッチが20分間をかけて靴紐を結んだというのもよくわかる.細部をおろそかにしない人を私は信用する.

#やはり良い靴はカカトのホールド感が違うんだよなぁ...靴を収集する人の気持ちもわかるような気がする.


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