2011年8月12日金曜日

夢の世界での経験は,現実世界の私に影響を与えている

映画"Inception"の話は,夢と現実の狭間に
起こるものだが,同じテーマを取り扱った話は多い.

映画"Matrix"が電脳世界と現実世界を行き来するものだし.
"Sucker Punch"(邦題「エンジェル・ウォーズ」)が,
夢の世界での話だったらしい(未見なのだけれど).

しかし,最近の話ばかりではない.
邯鄲の夢」とか,「胡蝶の夢」とか,
中国の話にも昔からある.

特に,邯鄲の話は,Inceptionに良く似ている.
夢の世界で栄華を極める人生を生きた邯鄲は,
現実に戻ってきて,栄達の夢を払うことができたという.

Inceptionでも,主人公とその妻は
夢の世界で,ともに年を取っていく.
妻は夢の世界が現実なのだと思い込んでいく.

結局のところ,夢の世界で経験したことは,
自分が経験したことに違いないのだ.
小説を読めば疑似体験ができる,と良くいわれるが,
夢の場合はさらに現実に近い体験をしていると思われる.
ただそれが記憶されているか,どうかなのだと思う.
そこでは,夢での体験に合理性があるか,どうか,
なんて関係ないのである.

潜在意識には,善悪もなく,合理的非合理的の区別もない.
自分が経験すれば,脳はそれを経験するのである.
そう考えると,自分が(覚えていないけれど)
夢で何を経験しているかということが怖い.

記憶に無いから,平静を保っていることができるのかもしれない.
実際に,その経験の記憶があったらどうだろう.
いや,記憶が無くても,私の人格形成やモノの考え方に,
自分でもわからないうちに,文字通り無意識的に
影響を与えているのだろう.
それが怖い.

では,その潜在意識を私はコントロールすることはできるか.
ということになるのだが,「それは,可能である」,
というのが私の持論である.
まぁ,その方法はまたいつか議論することがあるでしょう.

ということで,今日も素晴らしい夢を.

"Golden Slumbers fill your eyes."

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