2012年5月21日月曜日

サンドバッグトレーニングでストレス発散

生活が飽和していた.
仕事が山積している.
ブログの更新もままならなかった.
しかし,それもなんとか底を打った.
これからまたブログも更新する機会が増えるだろう.

ブログはストレス解消の一手段である.
「書く」ことによって,頭の中が整理される.論理建てされる.これによって脳内の交通渋滞が解消され,ストレスは発散される.考えを表現することによって癒される.人間というのは,よくよく社会的動物だと思う.表現すること(その対象が他人でなく自分であったとしても)が生きていくために必要なのだから.

音楽もストレス解消の手段である.私は専ら聴く方だけれど.
この数週間,私を救ってくれた音楽は,バッハのシャコンヌ(ビオラ4台による編曲版),ブラームスのバイオリンコンチェルト(庄司紗耶香が良かった),そしてマゼールの編曲によるワーグナーの”Ring without words"(ベルリンフィルの演奏がまたすごい).
音楽はやはり素晴らしい.いつの間にかその世界に引き込まれて,感情が変わっていく.感情は無意識の産物であるならば,音楽はその無意識に直接的に働きかけるということなのだろう.論理性は要らない.暖かな優しい気分を呼び覚ましてくれる.

さて,私が最も嫌悪する人間の種類に,「感情的な人間」がある.
感情は否定しない.人は楽しい気持ち,幸せな気持ちを求めて行動するのだから.感情は大切だ.
しかし,怒りなどの感情によって,非論理的になって,ただ声を荒げるような人間は本当に嫌いだ.そのうち,開き直って感情的であることも当然だと言ったりする.それが女性であれ,男性であれ,私は許せないのである.老い始めている人間であったりすると,なおさらだ.長い人生どのように過ごしてきたのだろうと呆れるほどである.そうした人たちとは関係を持たなければ良いのだけれど,どうしてもそうした場に居合わせなければならないことがある.それは私の中に怒りの感情を生み,大きなストレスとなる.

この「怒り」のストレスの解消が難しい.ブログでも音楽でもなかなかおさめることができない.それで困っていると,ある人から運動が良いと薦められた.怒りを爆発させても,人に迷惑をかけなければいい,と言われて,「そうかな」と思った.これまでは,人を憎むことは自分が嫌な人間になるようで,そうした感情は抑制してきたのだけれど,それがまずいのかもしれない.むしろ発散すべきだったのかもしれない.

そこで,先週の金曜日,サンドバッグを叩いてみた.確かにサンドバッグを殴る分には誰にも迷惑もかからない.怒りは完全には解消できなかったけれど,まぁ少しはおさまった.おかげで身体のあちこちが筋肉痛だけれど(笑)

今回学んだのは,感情を抑制するのはやはり良くないということ.どこかで発散することが大切なのだ.抑制すると,人間の脳はなぜかその感情を何度も何度もリピートするようだ.それがまた新たな怒りを生んでいく.
そうならない前に,なんらかの形で発散し,解消していくことにしよう.別に自分は聖人になる必要はないのだから,もっと感情を抑制するのではなく,発散させることを考えよう.起ってしまった「怒り」はそうするより他がないのだ.

まずは,サンドバッグトレーニングの励行だ.これで夏前にずいぶんと体力をつけることができるだろう.

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