2013年2月4日月曜日

「慈眼温容」: 心は身体を動かしている

今年はこれまでと違ってもう少し精妙に合氣道を稽古してみようと思っていて,自分の身体の感覚に鋭敏になろうと思っているのだけれど,しばらく気をつけていると今更ながらに心と身体の関係は密接であることに気づく.

私が稽古している合氣道においては,「全身の力を完全に抜く」と習うのだけれど,今年はより一層精妙に力を抜くことを目標としている.注意し始めてみると今までの力の抜き方がいかに中途半端であったのか,これまで何を稽古してきたのかと,自分の修行の至らなさに悲しくなるほどである.

そして,心の状態が全身の筋肉にいかに大きな影響を及ぼしているのかということに気づいた.それは,眉間にほんの少しシワがよるだけであっても,身体の筋肉が緊張し始めるくらい微妙なのである.

ちょっと何かに意識がとどまって(執着,怒り等で),心が固くなってその柔軟さが失われたとする.その瞬間,身体のどこかが緊張し始めるのである.自分が良い状態であると感じる完全にリラックスした状態から明らかに変化するのである.そのあまりの微妙さに,そして心の状態に対する身体の感度の良さに,呆れるほど感心してしまうとともに,自分の心のコントロールの難しさを実感するのである.

まして武道において,敵が自分に襲いかかってきたときに,心が止まってしまっていては,身体が臨機応変に動くことなど望むべくもないだろう.まったく修行が役に立っていないことにがっかりしてしまったのである.

私の合氣道の先生はお若い頃,眉間にシワを寄せるクセがあったとのこと.そこで藤平光一先生は「慈眼温容」と色紙に書かれて,私の先生に渡された.その後,私の先生はその色紙を見て自分のそのクセを直すよう努力をされたのだという.そのお話は以前よりうかがっていたのだけれど,実はたった眉間に少しのシワを寄せるだけで,こんなに大きく影響を及ぼすとはこれまでとても思わなかったのである.

千代の富士が,藤平先生の著書を読んで,相撲の立合の際に相手をにらむのをやめたという話がある.にらむことによって,氣が止まるからだということなのだけれど,それが最近よくわかるような気がするのだ.もっと以前から,この話を真剣に受け止めておけばよかったと反省することしきりなのだ.

心の状態は,表情,姿勢に明らかに反映され,それは身体に緊張をもたらす.やはり心と身体は一つなのだ.なんと単純で明らかな原理.あとは真剣にそれを修行するかどうかだけなのだ.最近,本当に最近,そんなことがやっとわかってきた.今年は少しマシな稽古ができるだろうか.

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