2013年1月24日木曜日

危機的状況に自分を追い込んで感覚を鋭敏にする

今日,ある先生から高野山の大阿闍梨の行のお話を伺った.

高野山には50日間断食をする行があるそうである.そして,その目的は何か?という話になった.その大阿闍梨のお話によれば,それは人間の生命力を活性化させるためだということである.断食をして生命の危機が訪れると,体の細胞ひとつひとつが活性化し,潜在的な生命力が引き出されるというのだ.そのため,断食中には隣の部屋の線香が燃える音,その灰が落ちる音が聞こえるほど感覚が鋭くなるのだという.

この話を聞いて,武道の修行にも同様のものがあることを思い出した.やはり断食をすると感覚が鋭敏になり,敵の殺気を感じ,動きを読むことができるのだというのである.新体道の青木氏はそうした修行をしたことを本に書かれている.また断食の後に酒を飲んで更に感覚を鋭くするような稽古も行ったそうである.

通常,人間は,自分たちが思っているよりもずいぶん多くの情報を外界から得ているらしい.ただそれらに鈍感なだけなのだ.顕在意識上に登ってくるためのしきい値を超えるほどの情報はごく僅かで,入力された多くの情報は潜在意識下においてそのまま捨てられているということなのだろう.それを断食という危機的状況を自分に与えることによって,研ぎ澄ます,すなわちしきい値を下げ感度をあげるということなのだろう.

BBCのテレビ番組の取材で,同じく新体道の滝行に参加する企画があった.レポーターは英国人だが中国拳法の修行者であって,他の日本人の修行者とともに滝に打たれていた.滝に打たれたのち,そのレポーターは畳の部屋に通されて,あるテストを行った.それは背面からふすまを隔てて日本刀を切りつけられる殺気を感じることができるかどうかというものである.滝に打たれる前に比べ明らかに当たる率が向上していた.これも冷たい滝に打たれるという身体的に危機的状況を作り出すことによって,感覚を鋭敏にするということなのだろうと思われる.

ストレスを自らにかけることによって,本来の生命力を活性化する.それも死に近いところまで負荷をかけ,ギリギリのところで行を行うというメソッドが確立されているというところが伝統宗教のすごさなのだろう.

そのお話をしていただいた先生は,同様に「勘」を磨きたいものだとお話されていた.生活における勘だけではなく,研究においても勘を働かすことが大切なのだろうとおっしゃっていた.なるほど,共通するものがあるかもしれないと私も思う.私も勘を磨きたいものだと思うけれど,荒行はちょっと大変そうだなと尻込みしてしまう.そんなふうに思っているからこそ,私には勘が働かないのだろう(そしてそれが私の方向音痴の一因になっているかも...).


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