2014年1月3日金曜日

悪い指導者はすべてを教える

最近,時間に余裕が無かったということで,学生のみなさんの話をよく聞かなかったのではないかと反省することがしばしばある.

学生が私のところに相談に来てくれたら,まずは相手の話をじっくり聞くべきである.説明が上手な学生ばかりではないから,いろいろ質問してあげて,「現在の状況」,「理想の状況」を明確にし,「そのギャップの原因」についていろいろ一緒に考える.そして,「次の行動」を相手に決めてもらう.そうした指導のプロセスが,少しおろそかになっていたのではないかと思うのである.

時間が無いと「それはこれが原因だ」とか「こうしたらどうか」と,ついつい私の意見を先に言ってしまうから,相手が自分で考える機会を奪ってしまうことになっている.あるいは,その説明の要領の悪さにイライラして先に私が結論を言ってしまうから,相手がストーリーを組み立てて話すことをできなくさせている.また,「最終的な目標」も,「次にとるべき行動」も,相手にとってではなく,私にとって都合のいいものを設定してしまう.すべては時間が無いからということを理由に,すぐに結論を求めてしまうということなのだけれど,それはあくまでも「自分のため」であって,「相手の成長のため」ではない対応なのである.だいたい,そういう対応をしてしまった日は,帰りの車中で思い出して,ずいぶん落ち込んだ気分になる.後悔がハンドルを重くする.

研究においてはスピードも大切だから,もちろん効率よく進めることが求められるのだけれど,大学は教育機関であるから,学生の成長をまず第一に考えるべきであるはずである.それなのに,面倒だから,あるいは時間がかかるからといって,私があれこれ細かく学生に指示していては,決して彼らの自主性は培われないだろう.ただ「指示待ち」の学生がまた増えるだけである.また,私がイライラして怒ってばかりいては研究も学生の指導もうまくいかないだろう.そのうち,私のところに相談に来なくなるだけだろうから.

最初は時間がかかるかもしれないけれど,長い目でみて指導することによって,学生のみなさんには,自分で研究を進めていく能力を身につけていってもらわなければなら.それが大学のクライアントである社会(決して学生たちの親ではない)への責任を私たちが果たすということになるのである.そうした学生が育つかどうかには教員である私たちの指導の方法が多分に影響する.そのことを常に忘れず,今年は学生のみなさんと対面したいと思っているのである.

良い指導者は,相手の成長のための質問をし,自主性を育てる.
悪い指導者はすべてを教える.

時間がなくても,「相手のため」の対応をしたいものである.


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