2023年2月11日土曜日

機械翻訳が間違うような日本語の文章を書いてはいけない

 学生たちが英語の文章を読んだり書いたりする必要がある場合,最近では「DeepL」という翻訳ソフトを使っていることが多い。私も多用しているけれど,だいぶ自然な文章に日本語も英語も翻訳できるようになってきているのを実感する。これは5年前くらいとは大違いで,技術の進歩にたいへん感心している。

しかし,翻訳ソフトにすべてお任せでいいかといえば,もちろんそんなことはなく,自らの英語力も必須である。DeepLだって完璧ではなく,学生が書いてきた(実際は機械翻訳を用いた)英文をみると,たとえば主語と述語が反対であったり,目的語が違っていたり,修飾語の対象が違っていたりと,いろいろとおかしな箇所があったりする。

少なくとも,(元の和文)→(英文)に翻訳したら,さらに(翻訳した英文)→(和文)に翻訳し直して,その和文が意図通りに書けているかをチェックすべきであるけれど,こうしたミスを犯す学生は英文自体をチェックする能力がもともと足りていないのだ。そして,もっというと日本語の作文能力に不足している。

もう数十年以上も前に科学技術文章の書き方(アカデミック・ライティングという)について書かれた新書の「仕事文の書き方」だったか,「理科系の作文技術」だったかに(どちらも名著であるので理系学生は必読!),「機械翻訳ができない文章を書いてはいけない」と書いてあった覚えがある。学生時代に読んだときは,そんなものかとボンヤリ考えただけだったけれど,現在,その必要性・重要性は明らかである。DeepLが間違った翻訳をするのであれば,それはあなたが書いた元の文章の精度が悪いのだ。

理科系の文章では,主語述語と目的語の関係,修飾する語と修飾される語の関係が明瞭でなければならない。また冗長な文章を書いてはならない。必要最小限な情報で,十分に意図を伝えられる文章を書かなければならない。チャーチルもアインシュタインもそんな言葉を残していたと思うし,そもそも「オッカムの剃刀」なんて言葉も,説明の(仮定の)冗長さを戒める類のものである。寺田寅彦,朝永振一郎などの科学者に名文家が多いのもそういう理由なのだろう。

修士論文,卒業論文の添削を行うこの時期に,感想文であるような卒論,あるいは説明不足な修論などを読むたびにあらためてそう思うのである。

#海外ではAcademic Writingに関する授業が大学にあると聞くけれど,日本では少ないようである(少なくとも私は受けてこなかった)。大学1年生くらいでぜひ学んで欲しいと思う。

もちろん,以上の文章は自分のことを棚に上げて話している。乞うご容赦。

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