機動戦士ガンダムジークアクスを見ていた。私のようなお爺さんであっても楽しめる作品になっていて,すこぶる感心した。高年齢のファン層にも,オリジナルを知らない若い層にも,楽しんでもらえるようにいろんな要素がてんこ盛りされていて,そうした作品に仕上げるまでの工夫,努力に頭が下がる。。。
(以下,ネタバレあります。もう時効かとは思いますが)
結局,私たちが見ていた世界は,別の世界のララァが作り出したものだったということだったのだけれど,それでは主人公たちはララァが殺されると存在がなくなるということなのだろうか?最終回では,その世界は継続されていたけれど。。。(ララァは死んでいない?)
こうした「実は別の世界線だった」という話はこの10年くらい増えているような気がする。そもそも昔は「世界線」という言葉もなかったし,たぶん正式な物理用語でもないだろう。ある時点を分岐点とし別の可能性があったとして存在する世界,というふうに私は解釈しているのだけれど,疑問はたくさんある。その一つが別世界を支えるエネルギーに関するものである。
たとえば今回のジークアクスの世界がララァが作ったものだとしたら,そのためのエネルギーはどこからやってきているのだろうか?ある世界を創造し維持するために,一体どれだけのエネルギーが必要かを考えてみると,それがララァという一個人の精神エネルギーで支えられているとは到底思えないのである。ララァの精神はビッグバンをいくつも生み出すほどのエネルギーを持っているというのだろうか?
「まどか☆マギカ」でもいくつもの世界線の話が出てきていた。そのころからずっと世界線がどのようなエネルギーによって作り出されているのか気になっている。選択による分岐の可能性はあるけれど,それで別世界が創造されるというしくみが全く想像できないのである。いつかそれが説明されるSFがあればよいと思っている(まどマギでは魔法という物理法則を超えた理由になっていたけれど)。
ただ,ジークアクスの場合は,すべてはララァの心の中の想像だったという夢オチで終わる可能性もあるのだけれど。
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