2010年10月12日火曜日

脳の限界を超えることができるか

昔,「ケイゾク」という後味のすこぶる悪い,
刑事ドラマがあって,しかしそのくせ,
心のどこかをひっかくような感覚がやみつきになって,
毎週欠かさずにみていた.

主演は,中谷美紀と渡部篤郎.
なによりも野口五郎が良い役で,
もう大ファンになったし...
(西尾まりも良かったなぁ)

その設定を一部引き継いで,
新しいドラマが始まった.
SPEC」.
主演は戸田恵梨香と加瀬亮.
実は,最初の20分程度しか見ていない.
演出は,「ケイゾク」と同じ堤幸彦ということで
(「トリック」なども同じ)
あちらこちらに笑いのツボを押さえたもので
あったのは確認したのだけれど.

加瀬亮はいいなぁ.
最近,実力派として定評あるのもわかる.
存在感があるもの.
一方,戸田恵梨香はちょっと力入りすぎかな.
中谷美紀のイメージにつぶされないで
頑張って欲しい...

と,雑談はここまでにして,
(といいつつ,これからも雑談だけれど)
ドラマの中で,戸田恵梨香演じる主人公が,

「人間の脳はその10%しか使っておらず,
残りの90%はどのように働いているか,
いまだ不明である」

というような内容をセリフで言っていた.
しかし,いまだにそんな話があるのかと
私は思った.
たしか最近の脳研究の成果によれば,
確かにその詳細の機能はわからないけれど
脳はやはりその大部分を思考に使っている,と
いうことになっているのではなかったっけ?
すなわち10%しか使っていないというのは,
あまりにも過小評価なのではないだろうか.

ケイゾクよりも以前,
Night Head」という深夜ドラマがあった.
武田真治,豊川悦司が超能力をもつ
兄弟役で,大変に人気が出たドラマである.
(ちなみに映画も公開されて,
学生時代,初日に渋谷の映画館に観に行ったら
(舞台挨拶があったので)
その周辺の路地という路地が女の子で
埋め尽くされていて,とても映画館まで
たどり着けなかった記憶がある)
このドラマでいうところのNight Headとは,
たしか使っていない70%の脳の能力だったと思う.
すなわち使っているのは30%.
それだって,ずいぶん少ない.

脳というのは未だに不明な機能がたくさん
あるから,こんな話がいろいろと出てくるのだろう.

人体の筋肉については,やはりその70%~80%くらい
しか使えないと言われている.
(「北斗の拳」じゃないよ)
それは,限界まで使用すれば,
筋肉が破壊されてしまうからである.
そのため,精神的限界が肉体的限界よりも
前に存在し,身体を壊さないようにしている.

これを越えるときに出てくる力が,
いわゆる「火事場の馬鹿力」である.
また武道は気合や自己暗示などで
その領域の能力を使用しようとする修練を積む.
それは昔からよく知られたことだったのである.

そこで私は考える.
脳の能力についても,実は精神的限界が
存在しているのではないかと.
「SPEC」の中でも紹介されていたが,
映画「レインマン」の中でダスティン・ホフマン演じる
自閉症の兄が見せる驚異的な記憶力は,
サバン症候群などの人に「希に」見られる
特殊能力なのだろうけれど,
それらは,日常生活の中でいつのまにか,
心理的に形作られてしまった精神的な限界が
外れてしまったために,発露したものなのかもしれない.

脳の能力の限界を超えたところに
そうした異常な能力が発揮される領域があるのかもしれない.
そう,思うのである.

しかし,肉体的限界を超えれば,当然筋肉等は
破壊される.
では,脳において,その限界を超えたとき,
どんな副作用が現れるのだろうか.
怖い話である.

しかし,過去よりそうした限界を超えるような
修行というものは確かに存在しているような気がする.
たとえば,宗教的なもの(滝行,護摩など),
武道的なもの,催眠的なもの,気功などである.
これらを日常生活に破綻をきたさず,
うまく使う術が,それぞれの修法に
伝えられているのだろうと思う.

脳の限界を超える.
確かに魅力的ではあるけれど,
廃人への道かも知れない.
本当に怖いなぁ...


0 件のコメント:

コメントを投稿

言葉が世界を単純化することの副作用

 人間がこれだけの文明を持つに至った理由のひとつは「言葉」を用いることであることは間違いないと思う。「言葉」があれば正確なコミュニケーションができるし、それを表す文字があれば知識を記録として残すことも可能である。また言葉を使えば現実世界には存在しない抽象的な概念(たとえば「民主主...