音楽評論家である岡田暁生氏の
「音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉」(中公新書)
の中には,音楽の好ましい聴き方として,
耳を傾けるのをやめることができない,という状態が
紹介されている.
私もこの状態がよくわかる.
ラジオを切ろうとしようにも,
音楽が気になってスイッチに手を伸ばすのを
ためらってしまう.
そういう状態にあるとき,自分は音楽を
真剣に聴いていると思えるのである.
いつだったか,車中でNHK-FMを聴いていて,
たぶん「現代の音楽」という番組だったと思うのだけれど,
ゲストが作曲家の原田敬子氏で,
彼女の作品を取り上げて流していた.
"wa-ta-ri I"(原田敬子,演奏 アンサンブル・モデルン)
の演奏に運転中ではあるけれど,
耳が離れなくなった.
響きを大事にする音作りで,曲が進むにつれ
空間が広がっていくような感覚を覚えた.
あぁ,自動車の中ではなく,
今,ひとりの部屋で聴くことができていたなら...と
そう思わずにはいられない音楽だった.
書店に寄る用事があったのだけれど,
曲が終わるまでしばらく駐車場で車の中にいたくらいである.
その際の,司会の西村朗氏との会話で原田氏は,
「音の残響を聴くのではなく,
予兆(予聴?)を聴くような音楽」
と発言されていた.
これには西村氏もまったく感心されていて,
それには高度な作曲技法が要求されるだろうと
コメントしていた.
さらに西村氏は,音楽の中に,なにかの「気配」を
感じることができることの可能性について発言されていた.
「予兆を聴くような音楽」.
私もこの言葉にはすっかり参ってしまった.
だいたい人間というものは,
問題が提示されるとその答えを求めてしまう特性をもつ.
音楽における「ドミナント解決」なども,そのひとつの表れだと思う.
しかし,それは常に音が鳴って,その後の話である.
一方,彼女は音が鳴る前に,
その予兆に耳を澄ますような音楽を作りたいと言っているのだ.
逆の発想というべきか.
確かに,解決を無意識に求めてしまう人間ではあるが,
音が鳴る前にその予兆を無意識に求めてしまうような
音作りも可能なのかもしれない.
結局,私はその後原田氏の作品集のCDを購入して,
彼女が求める音楽とはどういうものかを確かめてしまったのであった.
2011年9月15日木曜日
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