結局,毎日,長時間,集中力を持続して仕事を行うことが現代人には必要らしい.しかし,私のように歳をとって体力も落ちてくるとそれが難しくなってくる.仕事に限らない.車の運転だってそうだ.長時間集中力を持続することを困難に感じるようになってきたのだ.
では,どうやってこの老化による体力の減少をだましだまし集中力を維持するか(結局,集中力とは体力なのだと私は信じている).それについて今回は書いてみたい.
今年になって私は,関西と長岡を自動車で往復することが多くなったのだけれど,正味6時間半程度の運転が必要となる.もちろん休憩なしなんて無理である.そこでどのように休憩をとっていくか.その戦略が必要となる.
ひとつは,とりあえず行けるところまで行って,疲れたら休みをとる.それを繰り返していく方法である.しかし,遠距離になると長く運転すればするほど,疲れを感じて休みをとる時間間隔が短くなってくる.そして疲れの度合いがどんどん深くなっていく.最後の方はかなり疲労を感じながら運転をしなければならなくなってしまう.正直しんどい.
そこで私が最近とる戦略は,とにかく1時間走ったら休むという方法である.運転の最初からそのようにする.すると1時間くらいではそんなに疲れないから,最初の頃は休みが無駄なように感じてしまう.しかし,その疲れを感じないで休むということが大切なのである.次にまた1時間走って10分以上は休む.それを繰り返すのである.この方法だと結構疲労を少なく抑えることができ,集中力を維持して運転することができる.結局,関西ー長岡間の運転に8時間程度かかることになってしまうが,到着したときもまだ体力があるような気がするほど,集中力は維持される.いまのところベストな戦略なのである.
これは,人間が疲れを感じたときには,まずすでに時が遅いということを示している.そのときにはもう心身は疲れてしまっているのだ.10分程度休めば体力が回復する,というのであればよいのかもしれない.しかし,人間はそんなに都合よく短時間で体力を充電できないのである.
アスリートが,喉の乾きを感じてから水を飲むのでは遅すぎる,と言っているのに近いのかもしれない.人間のセンサの検出遅れは,ずいぶん大きいのである.
車の運転に限らず,1日の仕事時間にどのように休憩をとれば長時間集中力が続くのか,その解のひとつがこの戦略ではないかと思っている.その意味で25分間集中して5分間の休憩を繰り返すポモドーロ・テクニックはこの戦略と親和性が高いと言えるだろう.
村上春樹も執筆するとき,時間を決めておき,その時間が来たらどんな状態でも仕事を中断してその日の仕事を終えるのだと,どこかで書いていたような気がする.そのように心をハンギングした状態で仕事を一時中断することが結局は長い間,集中力と好奇心を持って書き続ける秘訣なのだろうと思う.
2019年9月19日木曜日
2019年9月13日金曜日
計画を立てるのが億劫な理由
私は計画を立てるのが苦手である.いや,正確にいうとちゃんと計画をして実行はする.しかし,計画を立てるのが億劫なのだ.計画を立て始めればちゃんとその作業をすすめることができるのだけれど,計画を立てるという作業に入るまでが,ハードル高く感じるのだ.
その原因を考えてみた.
自分を否定する大きな理由のひとつに,自分で立てた目標を達成できないというものがある.それは,すなわち,自分自身との約束を破ることである.このとき自尊心が削られる.自分はその目的に値しなかったのだと思う.そのときに自己肯定感はかなり損傷する.
もちろんその失敗の結果を次回にフィードバックするということは行う.しかし,自尊心が多少なりとも削られたことには違いがない.そのつらさを考えると自分と約束することが億劫になってしまう.それが計画を立てることに気後れする理由のひとつなのだと思うのである.
これを回避する方法はいくつかある.
その一つは目標のステップを適切な大きさにすることである.小さすぎるステップでは逆に自分の評価を自分でどんどん下げてしまうことになる.簡単,単純な作業を続けていると,意欲が下がってしまうことと同じである.
一方,そのステップが大きすぎると目標を達成できず,上記の通り自分を傷つけてしまう.イチロー選手もどこかのインタビューで答えていたのを覚えているのだけれど,つまりは,適切に頑張れば達成できる適切な目標を自分に与え続けることが成功の秘訣なのだ.
しかし,どんどんと仕事が降ってきて処理していかなければならない状況では,短時間で達成しなければならない課題が多すぎて,どうしてもステップは大きくなりがちである.そこが難しいところである.
とにかく,適切な目標を設定し,それを達成することによって自己評価を高めていることが大切である.ただそれがギリギリ達成できるほと難度が高いというのもあまりよくない.達成するには,あまりにつらい努力が必要であるということが続けば,目標を立てる際に,これを達成するために費やされる努力のつらさが先に思いやられてしまう.結局それが,現在私が計画を立てるのが嫌いということの原因なのだ.
#もちろん,適切な目標を立てないと最終的にゴールに達しないことも重々わかっているので,計画は立てて実行しています
その原因を考えてみた.
自分を否定する大きな理由のひとつに,自分で立てた目標を達成できないというものがある.それは,すなわち,自分自身との約束を破ることである.このとき自尊心が削られる.自分はその目的に値しなかったのだと思う.そのときに自己肯定感はかなり損傷する.
もちろんその失敗の結果を次回にフィードバックするということは行う.しかし,自尊心が多少なりとも削られたことには違いがない.そのつらさを考えると自分と約束することが億劫になってしまう.それが計画を立てることに気後れする理由のひとつなのだと思うのである.
これを回避する方法はいくつかある.
その一つは目標のステップを適切な大きさにすることである.小さすぎるステップでは逆に自分の評価を自分でどんどん下げてしまうことになる.簡単,単純な作業を続けていると,意欲が下がってしまうことと同じである.
一方,そのステップが大きすぎると目標を達成できず,上記の通り自分を傷つけてしまう.イチロー選手もどこかのインタビューで答えていたのを覚えているのだけれど,つまりは,適切に頑張れば達成できる適切な目標を自分に与え続けることが成功の秘訣なのだ.
しかし,どんどんと仕事が降ってきて処理していかなければならない状況では,短時間で達成しなければならない課題が多すぎて,どうしてもステップは大きくなりがちである.そこが難しいところである.
とにかく,適切な目標を設定し,それを達成することによって自己評価を高めていることが大切である.ただそれがギリギリ達成できるほと難度が高いというのもあまりよくない.達成するには,あまりにつらい努力が必要であるということが続けば,目標を立てる際に,これを達成するために費やされる努力のつらさが先に思いやられてしまう.結局それが,現在私が計画を立てるのが嫌いということの原因なのだ.
#もちろん,適切な目標を立てないと最終的にゴールに達しないことも重々わかっているので,計画は立てて実行しています
2019年9月10日火曜日
渋沢栄一を演じた勝新太郎,役者の格
再来年の大河ドラマは,渋沢栄一が主人公らしい.お札になるという効果もあるのだろう.演ずるのは吉沢亮.しかし,端正な顔立ちな渋沢栄一というのはどうなんだろう.感情移入できるのだろうかと心配してしまう.個人的には吉沢亮は大好きな俳優なのだけど.
渋沢栄一というと,私にとって最も印象に残っているのは,映画「帝都物語」で勝新太郎が演じたものである.存在感がとにかく大きな渋沢栄一だった.映画の中では東京(帝都)を魔法陣で守ろうと画策するのだけど,セリフの一つ一つが重い.夢のような話をするのだけれど,彼の一言が重いのでリアリティを感じてしまう.帝都は風水によって霊的に守護されるような気になってしまうのだ.
勝新太郎というのは私が大好きな俳優なのだけれど,それは彼の晩年の「存在感」によるところが大きい(若い頃の座頭市の色気も素敵だけど).渋沢栄一もそうだけれど,「独眼竜正宗」で演じた豊臣秀吉もすごかった.特に小田原攻めで渡辺謙演じる伊達政宗と会うシーンなんて,彼がすごく大きく見えてくる.目が彼から離せなくなる.これが「格」というものだろう.
演技の実力だけでなく,人間としての余裕,洒脱さが大きく見させているのだろう.彼がプライベートで三味線を弾き,都々逸を唄っているチャーミングな姿が,今も忘れられない.
本当の天才は,歳をとっても天才だということを彼は教えてくれる.
渋沢栄一というと,私にとって最も印象に残っているのは,映画「帝都物語」で勝新太郎が演じたものである.存在感がとにかく大きな渋沢栄一だった.映画の中では東京(帝都)を魔法陣で守ろうと画策するのだけど,セリフの一つ一つが重い.夢のような話をするのだけれど,彼の一言が重いのでリアリティを感じてしまう.帝都は風水によって霊的に守護されるような気になってしまうのだ.
勝新太郎というのは私が大好きな俳優なのだけれど,それは彼の晩年の「存在感」によるところが大きい(若い頃の座頭市の色気も素敵だけど).渋沢栄一もそうだけれど,「独眼竜正宗」で演じた豊臣秀吉もすごかった.特に小田原攻めで渡辺謙演じる伊達政宗と会うシーンなんて,彼がすごく大きく見えてくる.目が彼から離せなくなる.これが「格」というものだろう.
演技の実力だけでなく,人間としての余裕,洒脱さが大きく見させているのだろう.彼がプライベートで三味線を弾き,都々逸を唄っているチャーミングな姿が,今も忘れられない.
本当の天才は,歳をとっても天才だということを彼は教えてくれる.
2019年9月8日日曜日
印を結ぶ意味
「印を結ぶ」という動作が伝えられている武術(特に古流)がある.たとえば香取神道流とか柳生の流派とか,私が学んでいる合氣道においてもそういった印を結ぶということが伝えられている.もちろん,映画などでよく描かれる忍者などもそうかもしれないし,密教の修行者や山伏は当然のように印を結ぶ.この印を結ぶという行為にはどんな意味があるのだろうかと,個人的な考えをまとめてみる.
1.落ち着く,集中できる
だいたい印は指を組むのがややこしい形をしていたりする.それを迅速にいくつもの印を連続して結ぶのである.もしも,これから印を結ぼうとする人が,俗にいう「あがっている」状態であったら,そんなふうに迅速に印を結ぶことができるだろうか.それはたぶん難しいだろう.一方で,逆に難しい印を次々と結ぶことによって,恐怖や不安から気がそらされて集中し落ち着くことができるのではないだろうか.ここで「落ち着く」というのは,合氣道でいうところの統一の状態,すなわち集中し,臨機応変に落ち着いて行動できる状態を指す.武術のような生死をかけた状況においてこうした心の状態の持ちようは,勝敗に大きく影響していたのではないだろうか.
2.肩の力が抜ける
複雑な印を連続して迅速に結んでいくことは,肩に力が入っていてはできない.すなわち,印を結ぶときには肩の力が抜ける,すなわち落ち着いた状況になるのである.また指を組んでみるとわかるのだけれど,肩が下がるような形になっている.身体の無駄な力を抜くことによって心の状態を落ち着かせているのだと思われる.
3.宗教的な自己暗示
密教などにおいては印を結ぶときに真言を唱える.たとえば不動明王であったり,摩利支天であったり,それぞれの神様の真言を唱えることになる(武術などでは唱えないことも多いけれど).また印形もそれぞれ宗教的な意味を持っている.江戸時代や平安時代,まだ宗教心が人々の間で重要あった頃,生死をかけた危機において頼れるのは神様だったはずである.この神様を身におろす,あるいは御加護を直接受けることができる,と信じることは,非常に効果のある自己暗示であり,非常時に恐怖や不安から脱却するのに大きく役立っていたのではないだろうか.
4.催眠暗示におけるアンカー
日頃の厳しい鍛錬において,好ましいと思われる心身の状態がおとずれることがある.この状態が常に実現できるのであれば言うことがないが,残念ながら闘いの場などの危機的な状況にあったときに,そうした心の状態を実現することは至難の技である.しかし,日頃の厳しい鍛錬の中でそうした状態を会得したときに,その心の状態を印形と結びつけるのである.すなわち催眠暗示におけるアンカーを作っておくのである.いざというときに,その印を結ぶことがアンカーとなって,その好ましい状態を呼び戻すことができるのである.スポーツでルーティンなどと呼ばれる一連の動作と効果は似ているのかもしれない.アスリートも武術家も暗示に自分にかけることができなければ,火事場の馬鹿力など出せないのではないかと思う.
5.刀印による文字を書く動作,あるいは九字を切る動作について
印を結んだあと,刀印で「龍」などの文字を空中に書くような方法もある.あるいは密教では九字などにおいて,空中に格子を切ったり,あるいは五芒星を描いたりする.これは,描く図形に宗教的意味をもたせることにより,やはり自分に強い暗示をさらにかけるものではないかと思われる.また描く図形は尖ったものであることが多い.これは世界的に魔除けと呼ばれる形は,十字であったり,五芒星であったりとトゲトゲしいことが多いことを思い起こさせる.またその描き方は,なにかを切るように鋭く行うことが多いようだ.
ということで,思いつくままにメモ代わりとして書いておく.たぶん時間が経てばまた違う考えをもつとは思うのだけど(あくまでも個人的な考えです).
1.落ち着く,集中できる
だいたい印は指を組むのがややこしい形をしていたりする.それを迅速にいくつもの印を連続して結ぶのである.もしも,これから印を結ぼうとする人が,俗にいう「あがっている」状態であったら,そんなふうに迅速に印を結ぶことができるだろうか.それはたぶん難しいだろう.一方で,逆に難しい印を次々と結ぶことによって,恐怖や不安から気がそらされて集中し落ち着くことができるのではないだろうか.ここで「落ち着く」というのは,合氣道でいうところの統一の状態,すなわち集中し,臨機応変に落ち着いて行動できる状態を指す.武術のような生死をかけた状況においてこうした心の状態の持ちようは,勝敗に大きく影響していたのではないだろうか.
2.肩の力が抜ける
複雑な印を連続して迅速に結んでいくことは,肩に力が入っていてはできない.すなわち,印を結ぶときには肩の力が抜ける,すなわち落ち着いた状況になるのである.また指を組んでみるとわかるのだけれど,肩が下がるような形になっている.身体の無駄な力を抜くことによって心の状態を落ち着かせているのだと思われる.
3.宗教的な自己暗示
密教などにおいては印を結ぶときに真言を唱える.たとえば不動明王であったり,摩利支天であったり,それぞれの神様の真言を唱えることになる(武術などでは唱えないことも多いけれど).また印形もそれぞれ宗教的な意味を持っている.江戸時代や平安時代,まだ宗教心が人々の間で重要あった頃,生死をかけた危機において頼れるのは神様だったはずである.この神様を身におろす,あるいは御加護を直接受けることができる,と信じることは,非常に効果のある自己暗示であり,非常時に恐怖や不安から脱却するのに大きく役立っていたのではないだろうか.
4.催眠暗示におけるアンカー
日頃の厳しい鍛錬において,好ましいと思われる心身の状態がおとずれることがある.この状態が常に実現できるのであれば言うことがないが,残念ながら闘いの場などの危機的な状況にあったときに,そうした心の状態を実現することは至難の技である.しかし,日頃の厳しい鍛錬の中でそうした状態を会得したときに,その心の状態を印形と結びつけるのである.すなわち催眠暗示におけるアンカーを作っておくのである.いざというときに,その印を結ぶことがアンカーとなって,その好ましい状態を呼び戻すことができるのである.スポーツでルーティンなどと呼ばれる一連の動作と効果は似ているのかもしれない.アスリートも武術家も暗示に自分にかけることができなければ,火事場の馬鹿力など出せないのではないかと思う.
5.刀印による文字を書く動作,あるいは九字を切る動作について
印を結んだあと,刀印で「龍」などの文字を空中に書くような方法もある.あるいは密教では九字などにおいて,空中に格子を切ったり,あるいは五芒星を描いたりする.これは,描く図形に宗教的意味をもたせることにより,やはり自分に強い暗示をさらにかけるものではないかと思われる.また描く図形は尖ったものであることが多い.これは世界的に魔除けと呼ばれる形は,十字であったり,五芒星であったりとトゲトゲしいことが多いことを思い起こさせる.またその描き方は,なにかを切るように鋭く行うことが多いようだ.
ということで,思いつくままにメモ代わりとして書いておく.たぶん時間が経てばまた違う考えをもつとは思うのだけど(あくまでも個人的な考えです).
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