2022年6月18日土曜日

なぜ人に会うのはつらいのか-メンタルをすり減らさない38のヒント

 私は人と話すことは苦ではないけれど,基本的に「ひきこもり」の性格であると思っている。人と会わないことがほとんど苦にならない。一週間や二週間,人と会わなくたって全然構わないし,実際,学生時代は夏休みになると,誰とも会わない週を作っていたりしした。

一方,人と会うのにはエネルギーが要る。人と会うのに外に出るのが億劫になる。もちろん人間は社会的な動物で,他人や社会環境とのつながりがなければ生きていくことはできないし,人に会わなくなったら私のボケは加速することだろうから,人に会うことはずっとやめることはできないのはわかっている。しかし,それでも会うことがつらく感じることがある。

私は人と話すことは好きである。平日は毎日学生の皆さんと結構な量の雑談をするし(学生の皆さんは迷惑に思っているだろうけれど),初対面の人であっても会話は弾む方であると思っている。

しかし,新型コロナウィルスのパンデミックによって,大学の講義や会議,学会の大会や会議がオンラインで開催されるようになるとそれが大変楽に感じられるようになってきたのも事実である。もちろん反面寂しく感じることも多いのだけれど。

この本は新聞(だったかな)の書評で見つけた本である。紹介されていた

「人に会うのに苦痛を感じるのは,そこに「暴力性」があるからだと理解する」

との言葉に,はっとさせられることがあって,以下の本を書店で求めたのである。

「なぜ人に会うのはつらいのか-メンタルをすり減らさない38のヒント」佐藤優,斎藤環

そうなのだ!と思った。コミュニケーションとは,なにかしらのものを相手に差し出し,それに対する何かを手に入れる。等価交換とは限らない。相手から得たものが,相手の冷たい態度だけということもある。それでも何かを交換している。そしてその結果として何かしら私達の心は変化する。その変化は心が傷つくものであったりする。それを「暴力」と形容するのは自然なことのように思えるのだ。人に会うことには暴力性があるとの言葉のあとには

「その暴力には意味がある」

とも,語られている。結局人間というのは,コミュニケーションを取らなければ生きていけないのであるならば,本質的に暴力的な生き物であるような気がする。そうであるならば傷つくのも仕方ないような気がする。

人と会うことには,「暴力性」があるのであれば,小説や芸術作品にあうことにも一種の暴力を感じると言えるかもしれない。やはり心が動いたり,傷ついたりするから。人の変化には痛みが伴うものであるという当然の結論に辿り着いたのである。

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