「展覧会 岡本太郎」に行く機会があった。人気があるとは思っていたけれど,実際,会場である中之島美術館に訪れてみて人の多さに驚いた。そして若い人の多さに驚いた。今日になってもこんなに多くの若い人たちに岡本太郎が興味を持たれる芸術家であったことにあらためて感激した。なぜなら「芸術は爆発だ!」とか「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」などのパブリックイメージは私の世代には馴染みの深いものだけれど,若い人たちとは共有できていないと思っていたからだ。彼の著書だって最近読めるかどうか怪しいのだから。
展示作品のいくつかはすでに観たことがあるものだったが,数百点にも渡る展示は変わらず新鮮に感じたし,またたいへんな心に圧力を感じた。そうなのだ。岡本太郎の作品は観ていてウットリするとか,気持ちよくなるというものではない。だから観たあとに心に圧を受けたような気持ちになる。
岡本太郎の有名な言葉に,
「今日の芸術は,うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」
とあるが,まさにその通りなのだ。もしも私の居間に彼の作品が飾ってあったら落ち着かないことだろう。彼の作品は,きれいごとではすまないドロドロした生への欲望がある。それは彼が探し求めたように原始的な,根源的なものに共通している。美しさや癒やしなどではない,もっと生々しい生への渇望があるような気がする。だから観ている私も不穏な感情になるのだ。日常では抑圧されている生々しい感情に働きかけてくる。
「芸術は呪術である。人間生命の根源的渾沌を、もっとも明快な形でつき出す。人の姿を映すのに鏡があるように、精神を逆手にとって呪縛するのが芸術なのだ。」
岡本太郎は,「芸術は呪術である」と喝破している。そうなのだ。ドロドロとした感情に働きかける芸術は呪術と非常に近いものがある。私が探究してやまない,人間の心に働きかける術,それを一つの形として表したものが岡本太郎の作品なのだ。
彼の作品には「目」が描かれているものが多い。すなわち,なにかしらの「生き物」を描いていると考えられる(よくわからないけれど)。しかし,その目は丸々としていてやはり不穏な雰囲気を漂わしている。しかし生命力を感じる。こちらに挑みかかっているような。
こんな活力がなくなったと言われる時代に彼の作品が人気があるのは,こんなところに理由があるのかもしれない。若い人たちに人気がある理由も。そして私が強く惹かれるのも。
手すりにより掛かる太陽の塔 |
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