岡本太郎の晩年の作品には,黒い線で何かが描かれたものが多いのだけれど,書道の文字を書いた作品に似たものも多くある。私は「書道」というものに強く惹かれるのだけれど,書には呪術的な要素があるのは間違いない。だから昔から「呪符」などというものがあるのだ。その文字になんらかの超自然的な力があると信じられてきたのである。
だから「芸術は呪術である」という岡本太郎が,「書」に親しみを感じたとしても別におかしくはないと思う。書道の作品には,描かれた瞬間の作者の想いが閉じ込められているのを感じる。その念が観ているものの心に働きかけるのだ。それは結局岡本太郎の作品と同じではないかと思う。いや,本当の芸術とはそういうものなのかもしれないけど。
「呪い」(まじない)という言葉を岡本太郎の作品を観て思い出す。文字の意味はわからなくても,作者の想いが伝わってくる。それが本当の書なのだろう。中国で「書」はとても高級な芸術として取り扱われていたのもわからないでもない。
いつか,私もそうした力をもつ「書」を作りたいものだとずっと思っている。たとえ現実は書道4級であろうとも。
ひとつ前の記事にあげた「明日への神話」の壁画。渋谷駅にある。 |
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