「シン・仮面ライダー」を観て,芸術作品には民主主義は要らないのだと思った。正確に言うと,そう思ったきっかけは映画本作ではなくNHKの庵野監督のドキュメンタリーなのだけれど。
天才の発想は,初め多くの人の賛同を得られにくいものである。今回の庵野監督の映画の指示には,スタッフは明らかに不信感を持ったり,その指示に戸惑っていたことがドキュメンタリーから読み取れた。確かに,スタッフに的確な指示を出せない監督ってどうなのだろう,と疑問は持つけれど,天才の感覚は他の人に伝えることが難しいということも事実なのだろう。周囲の人は,ただ庵野監督の才能だけを信じてついていっていたように見えた。
スティーブ・ジョブズだってそうだったという。Appleの製品では彼は妥協をしなかったのだといわれている。会議の出席者が反感を持ったとしても自分の意見(ワガママ)を通したということだ。彼が説得をはじめると皆その話に巻き込まれてしまったらしい。これは現実歪曲空間(Reality Distortion Field, RDF)として知られている。彼のカリスマ的な魅力によって,非現実が現実化できるような気分にさせられてしまうのだ。
優れた指導者はみな,周囲の人たちを惹きつけるそうした能力を持っているものだろう。一般に,才能ある人物の発想は常識的には理解されにくいものだが,それでもその発想を実現化するために周囲の人に動いてもらわなければならないからだ。どんなに優れたアイデアであっても現実化されなければそれは単なる夢想である。
そこで大切な役割を果たすのが追従者(フォロワー)である。特に最初の追従者。このフォロワーが天才の発想の価値を認め,それを実現することに協力しなければ,その素晴らしいアイデアは夢話で終わってしまうに違いない。だからこそ,天才の価値を認め,協力するフォロワーも同等に重要なのである(鳩山元首相の「裸踊りをさせてくれてどうもありがとう」発言もその文脈だと言われている)。
反対にすべてが民主主義的に多数決,あるいは中間(中庸)の意見や感覚によって決まるとしたら,世界はなんてつまらないものになるだろうと恐怖する(現実はそうなりつつあるけれど)。優れた芸術作品や技術の飛躍的な新しい発想は民主主義からは決して生まれないのではないだろうか。これらにはひとりの天才,あるいは独裁者が必要なのだ。
クラシック音楽の世界で,オルフェス管弦楽団は指揮者を持たず,楽団員の話し合いで音楽を決定していくことで有名だった(現在はどうなのだろう?)。残念ながら録音を聴く限り私はあまり好きではない音楽を演奏していた。やはりぶっ飛んだ指揮者の演奏が聴いていて楽しくて感動する。
芸術や新しい技術の発想には民主主義は要らない。私は天才でもファーストフォロワーでもないが,せめて天才の発想の実現の足をひっぱらないようには生きていきたいと思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿