2011年4月21日木曜日

反「断捨離」

来週の火曜日,水曜日は,
研究室の引越である.
学舎が経年で耐震強度が問題となり,
それで補強された隣の隣の建屋に引っ越すのである.

骨格は,昭和40年頃に建てられた
当時のままなのだけれど,
内装はそれなりに綺麗になっているから,
少しうれしい.
今の建屋はずいぶんとボロだったからなぁ...


というわけで,今週は引越準備で
てんやわんやなわけで,
今日も何冊,本を段ボールに詰めたことか.
単に詰めるだけならばまだしも,
特に書類を取捨選択して整理するという
作業が大変なのである.

しかし,こうした機会でもなければ
ファイル・冊子類はたまっていく一方だから,
腰を据えて今回は取り組むことにしている.

過去の書類というのは,いろいろ想い出があって
なかなか捨てられないものだと思っていたのだけれど,
最近は,「断捨離」という言葉が流行しているようで,
ものを捨てるということが良いように思われるようだ.
それが,流行のライフスタイルらしい.

しかし,私は「断捨離」には全く反対である.
できるならば,できるかぎり,
想い出の品は所持しておくべきであると思っている.

モノを捨てるということは,
それに関する思索を止めることなのではないだろうか.
だから,すっきりするのである.
そりゃぁ,脳の負担が減るのだから.

しかし,それは良いことなのだろうか,と思う.
モノを見て想い出を楽しむことまでも
(モノを捨てることによって)捨ててしまうのが,
良いことなのだろうか.
確かにこれは執着といえば執着だから,
過去にこだわるという悪い面を持つ.
しかし,モノにまつわる思索にふけることは
そんなに悪いことのようには思えないのである.

しかし,現代の多くの人は,そうではないらしい.
モノを捨てることが,良い生活の基本らしい.
しかし,それはただ面倒くさいことを
切り捨てているだけなのではないだろうか

今回の研究室の引越を見ていてもそう感じる.
学生たちは,研究室の回路や道具,部品などを
整理してくれているのだけれど,そのうち「面倒くさい」から
まだ使えるモノまでどんどん捨てようとする.
理由は,「面倒くさい」からなのである.
そして,注意すると,
自分はこんなモノなど再利用しない,
というのである.
(だから,「誰が使うんですか」とすぐに訊く)

モノをどんどん捨てるということには
私ははっきりと違和感を持つ.
私がモノを捨てるのは,
所有しておくスペースの問題のためであり,
あくまでも仕方なく,という理由なのだ.
同じ捨てることでも,考え方が全く違う.
それを,よく考えること無しに,
簡単にモノを捨ててしまう,若い人たちには
腹が立つのである.
どうも彼らが育った文化背景は,私とは違うらしい.
親は私と同世代だと思うのだが...

とはいえ,今回は私もずいぶんと書類を整理した.
書類をたくさん捨てたのだ.ふふふ.

しかし,私には強い味方があったのだ.
スキャナー ScanSnap S1500.
参照する頻度の少ない書類
(特に過去の仕事に関する書類など)を
どんどん電子化した.
これで安心して書類が捨てられる.
OCRもついているので,
検索も簡単にできるようになったし.
あとはハードディスクのバックアップをとれば万全だ.
これで私の書棚はずいぶんと「空き」ができたはずだ.

どこかで昔読んだ.
ちゃんと整理をするには,十分なスペースが必要だと.
研究室を引っ越してからは,私の本棚は
いつも綺麗になっていることになるだろう(期待).
そして書類をどんどん電子化する.
ファイルは構造的に保管され,検索も容易.
あぁ,なんて理想的!
(まだファイル管理の方法が定まっていないのだけれど)

こうしたモノの整理ができるなんて,
時代は全く変わったものである.

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