2013年7月17日水曜日

公平な人

公平な人が好きである.

公平な人とは,なにかを判断するとき,良いことも悪いこともともに考慮する人のことをいう.わかりやすい例で言えば,争いの正否の判断をするとき両方の意見を聞いてから行う人のことである.あるいは人の評価を下すときも,他人からの伝聞だけでなく,本人に自分が直に会ってから行う人のことである.こうした人を私は尊敬する.

片側の意見だけを聞いて判断する人には残念ながら失望する.たとえその話をしてくれた人が信頼できる友達であっても,あるいは大手の新聞の記事であったとしても,片側の意見だけで判断しているのであれば,その人は公平性を欠いている.なぜならば,その信頼できると信じている友達の意見に絶対に誤りがないといえるだろうか.その友達の感情的なバイアスがかかっていないとはいえるのだろうか.自身を省みるとき,自分の意見に必ず誤りが無い,あるいはバイアスがかかっていないなどととても言うことができない.その友達を信頼しないわけではないけれど,やはり自分の目で確かめるまでは,判断したくはないのである.

新聞や雑誌の情報なんてもっと信じられない.なんらかのバイアスがかかっているのは明白なのである.私たちには,いかにそのバイアスを見抜き,それを差し引いて判断する能力が求められている.震災以降,メディアにあふれかえったデマ情報を見てみればわかる.新聞が記事で書いているから,雑誌が記事で書いているから,有名人が発信源だから,そんな理由は全く正誤の判断のあてにならないということはすでに証明されているのではないだろうか.もちろん正しい情報も多いだろう.しかし,私たちはそうした玉石混淆の情報空間から玉だけを取り出す目利きの腕が必要とされているのだ.

人の悪口を言う人がいる.そしてそれを安易に信じる多くの人がいる.しかし,本人にあってみれば,どうしてそんな噂が流れるのか理解できないことが多い.そんなとき,自分の目を信じたい.もちろん,他人の意見は参考にはするけれど,それが人を評価するときの先入観となるのは避けたいと思う.そして人の悪口を安易に信じる人たちを私は遠ざけたいと思う.

デマを流す人がいる.そしてそれによって不安や怒りを容易に煽られる人がいる.しかし,事実を確かめてみれば,明らかに異なることも多い.そんな場合にも,まずは自分で情報を集め,学会や現場の実際を調べてみたい.そのようにして新聞や雑誌,テレビのバイアスから免れたいと思う.そして,デマを容易に信じ,声高らかにまた拡散し,行動しない人を非難する,そんな人たちを私は遠ざけたいと思う.

私は公平な人でありたいと思う.
そして公平な人である友達を多く持ちたいと思う.
こうした不確かな世界であるけれど,
私はそうした信頼できる確かな人間関係をつくりたいと思うのである.

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