2013年7月12日金曜日

目隠して殴られるのは怖い

目隠しをされたタレントが平手打ちを受けて鼓膜などを傷つけてしまう事故(?)があったらしく,ニュースで流れていた.どうも平手打ちされた感覚から誰が殴ったのかを当てるゲームだったらしい.

この「目隠し」というのがどうもいけない.いつのタイミングで殴られるかわからないから,身体の準備のしようがないのだ.すなわち不意打ちで叩かれることになる.

不意に何かにつまづいたり,腕をどこかにぶつけたりすると,滑稽なほどコケたり,痛かったりする.これはひとえに,意識的および無意識的に心身の準備ができなかったためである.筋肉も弛緩したままだったり,あるいは衝撃に耐える姿勢も取れない状態で打撃を受けたら,もともと人間の身体なんて非常に弱いものだから,すぐに壊れてしまうだろう.日常生活で,あちらこちらでぶつけたりコケたりしていてもなんとか生きていられるのは,やはり衝撃に対して準備ができているからなのである.

大学時代,図書館で,筑波大学の前身である東京教育大学で書かれた体育論文を読んだことがある.タイトルは忘れてしまったけれど,人間の急所に関する論文であった(かなり特殊な論文ですが).

たとえばミゾオチ.ここが人間の急所であることを確かめるために,論文では次のような人体実験を行なっていた.被験者は目隠しをされて待たされる.そこに重りをつけた棒によって不意にミゾオチへと打撃を与えるのである.打撃の大きさは同じだから,その場合の脳波等の乱れを測定してその振幅や整定時間が大きければ,そこは人体にとって急所であることを確認できる,というような,なかば漫画のような実験結果が報告されていた.たしかミゾオチだけでなく,コメカミなんて急所も試験されていたのではなかっただろうか...

急所は確かに急所であるけれど,それを如何に打撃するかでその効果は全く異なるものになる.敵の「虚」を誘って,我の「実」をもってそれを撃つ.そうした技術が山ほど武術には存在する.それと同様な効果を目隠しすることで得ることができると考えられる.

暗闇の中で殴られるのは怖いだろうと思う.タイミングが計れず,いつ耐衝撃の姿勢をとったらいいかわからず,ビクビクすることになる.そんな経験をしたタレントの人たちをひどく気の毒に思う.企画者もちょっと反省すべきではないかと思う.そして笑いのためとはいえ,鼓膜が傷ついたり首が捻挫するほど強く殴った他のタレントもちょっと悲しく思う.

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