私は特定の宗教は持っていないのだけれど,神仏に手を合わせる心は持ちあわせている。
では,なぜ神様に祈るのが好きかというと,もちろん神頼みということもあるけれど,自分の心の状態をチェックする機会になるからである。ただし,チェックするのは神様ではなく,自分自身である。手を合わせるときに,神様の前に立つことができる心の状態にあるかどうかを自分で確認するのだ。日頃の行い,心の状態を省みる。心身の清潔について考える。実際にはほとんどの場合,今日神様の前に立つ資格はないなぁと思いつつ,さらなる精進を誓うことが多いのだけれど。
また,おみくじを引くのも好きである。そしてその理由もお参りと同じである。自分を省みるためのきっかけにしているのである。「辻占」と同じである。そこで得られた言葉をきっかけに,いろいろな連想をし自分の行動を反省する。こうした良い機会になるのである(もちろん吉がでるとうれしいものだけれど)。
神社は,その成立の縁起などを探っていくとそれだけで面白く,文化的な興味は尽きないのだけれど,私としてはやはり神様に手を合わせに訪れる清められた場所である。散歩するのにいいんだよなぁ。
悠久山の蒼柴神社
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