2023年1月21日土曜日

神様はリフレーミングのためにつくられた?

 カウンセリングなどではリフレーミングというテクニックがある。出来事,性格,状況などを違った角度で見つめ直すことによって,その意味づけを変えるというものである。最近,あちらこちらでこの言葉を聞くことが多くなった。

たとえば,一生懸命受験勉強をしているとき勉強は苦痛でしかないという学生が,これは自分の将来のために必要なステップだと考えることができれば,勉強の意味の捉え方が変わるかもしれない。もしも,受験勉強が実らず大学受験に失敗したとしても,これは自分の足りない部分を教えてくれる良い機会なのだとポジティブに受け止め直すことができるかもしれない。また,いつか将来自分の夢が叶ったときに,あのときの受験勉強や失敗は今の自分に必要だったのだ,と思うかもしれない。こんなふうに,起こってしまった出来事は事実として変えることはできないが,その意味の捉え方は変えることができるのである。物事の捉え方の枠組みを変える,ということからリフレーミングと言われる。

過去の出来事の意味,価値を決めるのは現在の自分の状況だと思っているけれど(たとえば,受験勉強の例でいえば,それが必要だったと思うか単なる苦痛だったと思うかは,私が現在の自分に満足しているかしていないかに依る),結局,リフレーミングとは新しい物語の創造なのだと思っている。自分のための物語を作り直すことによって,現在の自分の状況を考える,あるいは救うことなのだと思う。

人間はあらゆることに理由を求めてしまう性質がある。「~がこうなるのは~であるためだ」と理由づけすることによって,人間は安心するのである。原因不明のままの状況は人間を不安にさせる。だから科学や哲学が発展してきたのだろうし,一方で原因を「妖怪」や「祟り」などの超自然的な存在に求めたりする。非合理的な超自然的な理由であっても,私たちは幾分それで安心することができるのだ。

こうした理由を求める性質とリフレーミングは強い関係があるように思われる。人間は安心するために物語を欲し,その物語を自ら作り出すこともできるのだ。以前のこのブログで紹介した次の話もこの文脈で理解できる。

ある部族の3人の姉妹が川に行って,真ん中の娘だけがワニに食べられてしまったのだという。現代の私たちはこれを説明するときに,「偶然」という言葉を用いる。たまたま真ん中の娘が食べられたのは「偶然」なのだと。しかし,それを聞いて部族の人々は納得できるだろうか。いや,それはできない。部族の人々にとっては,川の神が娘を召したのだと考えるのが一番納得できるのである。そうでなければ,他の娘が食べられなかったことが説明できないではないか...

ここでは自分たちが納得するために(安心するために),「神」という新しい存在を導入した物語を生み出している。

「こんなに不幸な出来事が発生したのは,神様が私を試しているからだ」と考えることによって自らの状況を救うということは人類創生以来ずっと行われてきていて,実は神様はこのために人間によって発明されたのではないだろうか。キリスト教の聖書に限らず,神が人間を試すために苦難を与える話は世界中に存在する。これは,神という存在がなければ自分が置かれているこの不幸な状況を説明できない,と考える人間がこの地球上に普遍的に存在するということを示しているのだろう。

神様が人間を創造したのではなく,人間が神様をリフレーミングのために作ったといえるのではないかと思うのである。


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