2025年11月16日日曜日

カラテ・キッドがなければ世界の空手のイメージはもっと殺伐としたものになっていただろう

 「カラテ・キッド」シリーズの最新作「カラテ・キッド:レジェンズ」を観た。初期のシリーズの主役であるラルフ・マッチオとCGではあるがミヤジ先生ことノリユキ・パット・モリタが出演していて,胸が熱くなった。そこで思ったのだけれど,この二人が映画「カラテ・キッド」(邦題「ベスト・キッド」1984年)で西欧に作った空手のイメージはとても影響が大きく,そして非常に良い印象を与えたのではないだろうか。

それまで,映画に出てくる「空手」といえば,ブルースリーのカンフー映画のように悪者が遣う武術としての印象が強かった。だいたいラスボスが空手家で,ブルースリーがカンフーで勝利するというラストになっている(例えば,「怒りの鉄拳」とか「ドラゴンへの道」とか)。高校生の頃,空手道部だった私はそれがつらかった。現在だって,ドニー・イェン主演のイップ・マンシリーズにおいては,どうも空手家が悪者で出てきているらしい(見ていないのだけれど)。

国内の空手映画にしても,私が高校生の頃では,「史上最強のカラテ」シリーズの極真空手や,千葉真一,倉田保昭,真田広之に代表されるアクション映画が主流で,「空手は荒々しいもの」というイメージが一般的だったと思う。

それが「カラテ・キッド」で大きく変わった。映画の気の弱い内気な高校生がミヤジ先生が教える空手によって成長し,いけすかないライバルとの闘いに勝利を収めるという,まるでジャンプ漫画のような展開がとても爽やかで,カラテとは人間の成長を促すための武道だというイメージが定着したのではないだろうか。最後にカラテ大会で優勝するのだけれど,そのときになってもとても主人公のラルフ・マッチオが強くなったように見えないのが素晴らしい。あくまでも精神性と技によって勝利するのである。

一方,「カラテ・キッド」における悪役は,同級のやはり空手選手の高校生なのだけれど,彼が通う道場「コブラ会」では,道場主によって「勝つためには手段を択ばない」という教えがされていて,最後はそこに通っている道場生が可哀そうに思えてくる。そのように映画が作られているのがまた素敵である。

この映画によって,世界に紹介されていた「極真空手」のような荒々しいイメージだけでなく,人間の成長のための(特殊な人のためではなく,普通の高校生でも成長できるという)カラテというイメージが定着したのではないだろうか。もしも「カラテ・キッド」という映画がなければ,現在の「カラテ」の世界はもっと殺伐としたものであったに違いない。またもしかすると空手人口ももっと少なかったかもしれない。

「カラテ・キッド」の成功を受けて,さらにラルフ・マッチオ主演の「カラテ・キッド2」,「カラテ・キッド3」が作られ,少女がミヤジ先生に空手を習う「4」が作られた。さらにカラテではなくカンフーでリメイクされた,ジャッキー・チェンとジェイデン・スミス(ウィル・スミスの息子)主演の「カラテ・キッド」がある。そして今年の公開となったラルフ・マッチオとジャッキー・チェンが先生としてカラテとカンフーを教える「カラテ・キッド レジェンズ」とずっと続いてきた。そのうえ,ラルフ・マッチオとそのライバルが親世代になった「コブラ会」というスピンオフNetflixの連続ドラマもシーズン6まで作成されている(未見だけど。また「--レジェンズ」でも映画の最後に出てくる)。

とにかく「カラテ・キッド」はみんなが好きなストーリーなのである。そしてそのために,カラテのイメージが大きく改善されている。空手に関わる人々は,「カラテ・キッド」に感謝しなければならないだろう。

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