投稿

ビバ!サニー千葉

千葉真一は忍者,武士だけでなく,テレビ・映画などで空手,少林寺拳法などの武道家の役も多くこなしている(「激突!合気道」なる映画にも主演しているのだけれど,残念ながら劇中彼は合気道はほとんど使用していないという噂).その上,スタントが必要な危険なアクションまでこなしている.つまり,オールマイティのアクションスターなのだ.ここまでできるアクションスターは彼の他に,彼の弟子である真田広之くらいしか見当たらない. 千葉真一はサニー千葉として国際的にも有名で,熱狂的なファンであるクェンティン・タランティーノなどは,彼の映画「Kill Bill」に,千葉真一をなんと「服部半蔵」役で出演させている(彼とともにJACの大葉健二(ギャバンの人)もコメディ風に出演しているのがうれしい).そして「神に会うては神を斬り、仏に会うては仏を斬り...」とあの「柳生一族の陰謀」の名セリフを言うのである(ちなみに元ネタは「臨済録」の「仏に逢うては仏を殺し」かと思われる.「魔界転生」においても「神に逢うては神を斬り,魔物に逢うては魔物を斬る」とのセリフが出てくる).しかし,タランティーノってヤツは,どれだけ日本映画をみているのか...? 意外なところでは,キアヌ・リーブスにとってもサニー千葉は憧れのスターであったらしい.「John Wick」の宣伝で来日した時, 千葉真一に会ってすごく喜んでいて,子供のような笑顔をしていた .キアヌ自身もカンフー映画などプロデュースしているし,こういう少しB級なアクション映画がよっぽど好きなんだろうなぁ. 千葉真一も,先日亡くなった松方弘樹同様,その偉大な功績のわりに世間の評価がずいぶん低い俳優の一人であるのは間違いないと思う.いなくなってからでは遅いのである.この国際的アクションスターの偉大さを現在から大いに讃えたいと思うのである. #意外なところでは傑作映画「新幹線大爆破」の新幹線の運転士,あるいは松田優作主演の「蘇る金狼」にも殺される役で出演している.どちらもいい味出している.

柳生十兵衛といっても千葉真一

服部半蔵 だけでなく,柳生十兵衛といっても,やっぱり千葉真一なのである. たぶん「柳生一族の陰謀」で柳生十兵衛としてブレイクしたのだろうけれど,片目を塞いであれだけのアクションをするには,相当の稽古が必要であったに違いない.もしも私が片目を塞いで剣を持ったら,まず死角が広がってしまうし,相手との間合いも図りづらくなるだろうし,たぶん相手の攻撃をよけることも難しくなってしまうだろう.あれをあのスピードで大人数を相手に殺陣を行うのだから,もうすごいとしか言いようがない.もともとの才能も素晴らしかったのだろう. 柳生十兵衛三厳といえば時代劇の一,二を争うヒーローだけど,私は当初彼の存在はフィクションだと思っていた.時代劇好きな父が私に,十兵衛が片目を失ったエピソードを話してくれたのだけれど,これが「えーっ」という話だったので,とても信じられなかったのだ. まだ十兵衛が子供だった頃,父の柳生宗矩に稽古をつけてもらっていたときに,石のつぶてだったか,小柄だったかを投げられて片目が潰された.しかし,十兵衛がそのときに潰れた片目を手で抑えたのではなく,健全な方の目を抑えて次の攻撃に備えた,などという話だった.講談によくあるパターンなので,どうだろうと子供心に思っていた. しかし,彼は実在の人物で,「月之抄」などの著作もある.隻眼かどうかはさだかでないけれど,伝書もなかなか興味深いことが書かれていて(一部しか読んでいないけど.そしてそれも難解なのだけれど),実在の剣豪だったのだと知り自分の不明を恥じた次第である.いつか「武蔵野」などの彼の著作をゆっくりと読んでみたいものである. 家光の怒りをかって,しばらく柳生の里に引っ込んでいた(あるいはこの時期に諸国を修行行脚した)などという話もあって,いろいろな創作もされやすいのもよくわかる.だから,これまで柳生十兵衛を演じた俳優も数多くいるのだけれど,私の印象に残っている十兵衛は,松方弘樹に村上弘明.若いところでいくと,時任三郎,中村獅童,上川隆也(TV「柳生一族の陰謀」)そして佐藤浩市(彼は映画「魔界転生」(新しい方)で演じている)といったところだろうか.しかし,やっぱり千葉真一を越える柳生十兵衛はいまだ現れていないような気がするのである(私的には「魔界転生」(古い方)が一番!なのだけれど).

千葉真一といえば,服部半蔵

テレビで「影の軍団IV」が放送されていた.私が見ていたのは中学生くらいの頃だろうか.JACの役者さんもみな若くて,とても懐かしかったけれども,あらためて服部半蔵演じる千葉真一のカッコよさに惚れ直した.あの鎖帷子の黒装束がたまらないのだ. これまで,殺陣のカッコよさといえば, 若山富三郎 , 勝新太郎 ,そして 三船敏郎 を紹介してきたけれど,千葉真一もすごい.影の軍団シリーズでは,忍びの集団の頭領,服部半蔵を演じ,非常に渋~い忍者アクションを披露している.殺陣も忍者らしく,普通の日本刀でない特殊な形の刀を使用したり,蹴ったり,敵の足を刀で突き刺したりと,少し変わっていて,彼の工夫がいちいちカッコいいのである.ときどき,そりゃないだろう,というアクションも披露しているが,そのオチャメさも魅力のひとつである. 彼のすごいところは常に新しいアイデアを取り入れようとすることで,たぶんスタッフをいつも困らせていたんだろうなぁと推測する.真田広之がまだJACだったころ,彼の命は千葉真一の無茶な要求で何度も危険にさらされたらしい.あの頃の撮影は無茶苦茶だったという話. あの「影の軍団」のテーマが聞こえてくるとゾクゾクする.服部半蔵は敵ボスを倒す前に決め台詞をいうのだけれど,シリーズIVでは,「名もなく地位無く姿無し. されどこの世を照らす光あらば,この世を斬る影もあると知れ.天魔伏滅」であった.別シリーズでは,「我が身既に鉄なり.我が心既に空なり.天魔伏滅」となっていて,このセリフをきめた後に相手をワンアクションで倒すところがカッコいいのである. 影の軍団以来,本格的な忍者アクションの時代劇が無いような気がする.だれか挑戦してくれないかなぁ.

空海の教えは完全無欠?

ミャンマーからの留学生と話していて仏教の話題になった. 日本には仏教の分派が数多く存在する.日本の仏教とミャンマーの仏教とは大きく異なるが(ミャンマーはスリランカからの上座部仏教が伝来している),日本のお寺に行ったときに,お経の最初のパーリ語の部分は同じだと言っていた. 日本で仏教文化が花開いたのは,鎌倉仏教の頃だと思うけれど,その前の平安時代にその萌芽があったことは間違いないと思われる.そこですぐに思い浮かぶのは,空海の真言宗と最澄の天台宗である. そして私が思うのは,空海の才能の大きさである.彼は超人だったのではないか. 最澄の天台宗は,法然の浄土宗をはじめ,親鸞の浄土真宗,曹洞宗,臨済宗,日蓮宗,時宗などを生み出し,日本仏教の源流となった.一方,真言宗からは独立したメジャーな宗派は生まれていない.その理由は,最澄の教えはある意味で不完全であり,そのために多くの弟子が独自の宗派を開くことになり,一方,空海の教えは完璧で弟子が疑問を呈する余地が少ないからなのではないか.空海が伝えた(開いた)密教の体系はそれほど完全な理論で構築されたものだからではないかと思うのである.彼は超人だったのではないだろうか. 最澄の教えが劣っているわけではないと思う.彼は探究を続け,そのおかげで多くの優れた弟子を輩出することになったのだから.でも,空海の教えが私の想像するような完全無欠なものであるのだとしたら,やはりその頭の中を覗いてみたいと思うのである.

大学の講義 今昔

大学の講義もずいぶんと変わった. 私が学生の頃は,ノートパソコンなんてなかったから(パソコンは8インチディスクから5インチディスクに移行する頃だ),パワーポイントで講義資料を作成するなんてありえない時代だった.気の利いた先生はOHP(Over Head Projector, 今は知らない人が多いと思うけど)を使っていたけれど,ごくごく少数派で,ほとんどの先生は自分のノートを持ってきて,教科書を片手に黒板に板書しながら講義する,というスタイルだった.その他は配布資料が補助資料として少しあったくらいだった(さすがにコピーは青ヤキの時代ではなかったけれど). 中には,講義が始まるとやってきて,挨拶をしたらすぐに黒板に向かってコツコツと書き始め,そのまま終わりまで一度も生徒の方を向かずに講義して,それで帰っていく先生なんかもいた.あるいは,途中でタバコ休憩をとる先生もいた.そうした講義でも何かを吸収しようとする学生がいて,一所懸命ノートをとっていた(そしてそのノートは試験対策期に高価な値段でコピーが売れることになるのだが).そもそも先生の海外出張が多くて,講義が学期中に半分くらいしか行われないものもあった.でもそれでも許されていた.おおらかな時代だったのだ. 学生たちにとっても,不便であったがために講義中に行わなければならない努力が多く,それが勉強に役立っていたのかもしれないと今となっては思う.現在の講義は,パワーポイントのスライドをプロジェクタでスクリーンに映し,カラフルで,ときにはアニメーションも使ってわかりやすく解説する.補助資料も多く準備され,講義手法についても学生からのアンケート結果も教員にフィードバックされる(声が小さいとか,板書の文字が汚いとか,いろいろな意見がくる.また大事なところは大事だと言ってくれ,などという意見もある).講義はあらかじめ予定された回数で行われるし,煙草休憩なんてもちろん無い.まるで塾のような講義状況なのである. 学生たちは,現在まさにマクドナルド状態.店員ならぬ教員から「~はどうですか?」,「~もあります」などとサービスをされ,それを受け入れるだけで済むという便利な時代なのだ.私はそれが悪いとは思わない.それで学生の理解が進むならば,それは結構なことだと思う.ただ,講義で得られた知識のありがたさだけは昔の方が大きかったよう...

大学の対応 今昔

以前と 大学の入学式・卒業式の様相が異なっているという話 をしたけれど,大きく様変わりしたなぁと思うことのひとつに「学生が不祥事を起こした時の大学側」の対応がある. 最近,有名私立・国公立大学において不祥事が多発しており,そのたびに学校側の所属学部長あたりの役職の人が記者会見を開き,マスコミに向かって頭を下げている映像を見ている.一応私も大学側の人間として,たいへんだなぁと思わざるを得ないのだけれど,ニュースを見ている人たちは大学が頭を下げるのが当然だと思っているのだろうか,と不思議に思う. 繰り返していうけれど,大学生は一人前の大人として取り扱うべきなのであると思う.だから大学においては,小・中・高校と違って生活指導,道徳などの講義時間が無い(はずである).私が大学生だったころ,同期の学生が罪を犯し,たいへんな事件となったことがあるのだけれど,それでも学校側が記者会見を開いた,という覚えは無い.ずいぶんあとになって,その学生の罪が確定してからのち,掲示板に退学処分が張り出されただけである.それが当時の普通の感覚だったのである. もしも学生が不祥事を起こすたびに,大学側が記者会見を開いてそのたびに謝っていたら,たぶん私の上の世代,すなわち学生運動が盛んだった時代には,毎日のようにあちらこちらで謝罪会見が開かれていたに違いない.しかし,当時,大学は学生の生活を指導する立場ではなかったから,そんなことはなかったのであろう. しかし,現在は大学が学生の生活・素行にまで責任をとるということが社会の通念になっているらしい.大学とはあくまでも学問探究の場であって,それまでの小・中・高校のように生活指導を行う場ではないと思っている私は少数派なのだろう.でも私は,やはり大学生はもう大人であるという自覚を持って行動して欲しいと思う.彼らの生活には大学は関与しないべきだ.一方で,罪を犯したのであれば学生だから未熟であるという配慮はやめて,一般人と同様厳罰に処すべきだと思う.大学生活は高校生活の延長であってはならないと思うのである.

卒業式 今昔

本日は大学の卒業式だった. 卒業されたみなさん,本当におめでとうございます. 次の新しい世界に飛び込むことになりますが,自分の力を信じて大いに活躍して欲しいと思います. さて,晩に開かれた祝賀・謝恩会で先生方と話していたのは,卒業式に親がついてくる学生が多いということ.現在は会場の大阪城ホールの保護者席に限りがあるので整理券だかなんだか制限があるという.つまりはそれだけ親が卒業式についてくる,ということらしい. 私が学生の頃(二十数年前)は,卒業式に親がついてくるなんて,そうそうなかったように思う.もしも親が出席したいなどというと,恥ずかしいから来るなと言う学生が多かった.実際,卒業式には親の姿はまばらだった.入学式だって親なんか来なかった.大学生になったら一人前,親離れするというのが当時の当たり前の感覚だったのだ. それがいまはどうだろう.確かに大学を卒業するにも親の貢献が大きいのは認める.しかし,もう少し放任であっても良いと思うのだが,それは私だけの感想なのだろうか.大学の単位取得についても,就職についても,親が心配しすぎるような気がする.大学生はもう大人なのだ.大人として扱ってあげたほうが良い. 私の卒業式には親は遠いこともあって,親が出席するなどという話は全然なかった.まあ,私は学部卒,修士卒,博士卒と三回も卒業式を経験することになったので,親としてもつきあいきれなかっただろうけど.