2017年3月22日水曜日

卒業式 今昔

本日は大学の卒業式だった.
卒業されたみなさん,本当におめでとうございます.
次の新しい世界に飛び込むことになりますが,自分の力を信じて大いに活躍して欲しいと思います.

さて,晩に開かれた祝賀・謝恩会で先生方と話していたのは,卒業式に親がついてくる学生が多いということ.現在は会場の大阪城ホールの保護者席に限りがあるので整理券だかなんだか制限があるという.つまりはそれだけ親が卒業式についてくる,ということらしい.

私が学生の頃(二十数年前)は,卒業式に親がついてくるなんて,そうそうなかったように思う.もしも親が出席したいなどというと,恥ずかしいから来るなと言う学生が多かった.実際,卒業式には親の姿はまばらだった.入学式だって親なんか来なかった.大学生になったら一人前,親離れするというのが当時の当たり前の感覚だったのだ.

それがいまはどうだろう.確かに大学を卒業するにも親の貢献が大きいのは認める.しかし,もう少し放任であっても良いと思うのだが,それは私だけの感想なのだろうか.大学の単位取得についても,就職についても,親が心配しすぎるような気がする.大学生はもう大人なのだ.大人として扱ってあげたほうが良い.

私の卒業式には親は遠いこともあって,親が出席するなどという話は全然なかった.まあ,私は学部卒,修士卒,博士卒と三回も卒業式を経験することになったので,親としてもつきあいきれなかっただろうけど.

0 件のコメント:

コメントを投稿

言葉が世界を単純化することの副作用

 人間がこれだけの文明を持つに至った理由のひとつは「言葉」を用いることであることは間違いないと思う。「言葉」があれば正確なコミュニケーションができるし、それを表す文字があれば知識を記録として残すことも可能である。また言葉を使えば現実世界には存在しない抽象的な概念(たとえば「民主主...