先週末は久しぶりに休日らしく過ごせた.
ようやく仕事も行く末が見え始めたからである.
(決して終結したわけでないけど)
休日らしく過ごす,といってもなんのことはない,
家事をして過ごすのである.
しばらく,腰を据えて家事をする機会が
なかったので,家族に申し訳ないと思いつつ,
その罪ほろぼしに掃除などをした.
ところで,家事をすると,気分がすっきりする.
家事のつらさが先立つと気が重くなるものだが,
まずは心を空っぽにして,とりあえず手を付ける.
そして家事に集中してくると自然に心は空っぽになる.
これが良いのだと思う.
適度な運動と相まって,ストレス解消になるのだ.
最近,「幸せはすべて脳の中にある」という本を読んだ.
(朝日選書,酒井雄哉,茂木健一郎)
著者の酒井雄哉という人は,比叡山の山を千日間
歩くという千日回峰行を2度も満行したというお坊さんだけれど,
この人の話でも「心を空っぽにする」という言葉が
キーワードのように何度も語られる.
その仕事を始めるにあたり,それに付随する
困難さを始め前から心配していては,
最初の一歩を踏み出すことはできない.
心を空っぽにして,あれこれ思案せず,
とにかく始める.
そのうちに,自然に心は空っぽになる.
まさに家事と一緒である.
もちろんその困難さは比べるまでもなく大きく違うけれど,
心のあり方には共通点があるのではないかと思う.
村上春樹の小説の主人公もよく家事を行う.
混乱しているときに,シャツにアイロンをかけたりする.
あるいは料理をしたりする.
家事をすることで心が静まるという,
経験者にはよく分かる話である.
単純だが,ちょっとした工夫を要求する作業,
そうしたものが心を落ち着けるのに丁度いいのだろう.
「無門関」に「国師三喚」という公案がある.
偉いお坊さんが従者を三回呼んだところ
そのたびに「はい」と答えた.
お坊さんは「私のせいでお前が悟れないと思っていたけれど,
お前が私に背いて悟れなかったのか」と行ったという話である.
これについては,「剣と禅」の著者である大森曹玄氏が
解説をしていたと思うのだけれど,
一回一回呼ばれる度に従者は「なんだろう」と思案をしてから
答えていたのではないか,というのである.
呼ばれる度に,前後のつながりは断ち切って,
「はい」と答えるべきだったのだ.
この話は,武道的に大変興味深く感じ,
今でもよく覚えている.
そして,心を空っぽにするということと
何か通じ合っているのではないかと思うのである.
というわけで,また機会があれば
私は家事を行う.
前後のしがらみを断ち切って.
2010年3月24日水曜日
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