先日のNHKの「ブラタモリ」は,長岡が訪問場所だった。長岡はなぜ花火の町になったのか,そしてなぜ市のマークが不死鳥なのか,それらがわかりやすく解説されていた。戊辰戦争,大空襲,そして中越地震と多くの困難を乗り越えてきたからこそ,不死鳥なのである。
さて,その中で長岡城跡に駅が建っているというのは全国的にも珍しい,という話が出てきた。長岡駅を出ると,城跡の碑が建っている。らしい…(私は未確認)。
長岡城は戊辰戦争のときに焼失してしまっているので,どのような城だったのか私はよくわからないのだけれど,その城は「苧引形兜城(おびきがたかぶとじょう)」と呼ばれていたらしい。ただ,その名前の由来については,民話・伝説で知っていた。
長岡城の築城責任者が,主君からよい城を築城しろと命じられて悩んでいたときに,ある雪が降った朝に狐を見つけた。その狐は長い「苧」の枝をくわえていたのだけれど,それを雪が降った地面にさして線を引き始めたという。それが城の区画を示していて,その築城責任者は狐が引いた線にしたがって設計図面を引いて築城したのだという。それで「苧引形」と呼ばれるようになったということである。(ちなみに兜城と呼ばれるのはその城の構えが兜のクワガタに似ていたかららしい)
ということで,城内にはその狐を祭る「稲荷神社」があり,今は市役所であるアオーレ長岡の敷地内にそれがある。
城内稲荷神社 |
#どうも全国的に城内では稲荷社があることが多いらしい
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