宗教儀式とは深層心理の操作を行うものだという話の続きである。第1回目,第2回目と続き,今回は第3回目である。好きなんです,この話。
これまで宗教儀式は,教義を信者に植え付けるため(暗示を与えるため,あるいは洗脳するため)に効果的な環境下において行われるという話をした。例えば,巨大な建築物による威圧,内部の暗い環境,あるいはお香などの香り,そして低く響く音楽または詠唱。こうしたものを集団的に人々に与える,あるいは独り個室の中で与えられれば,人はトランスに入りやすくなるだろう。
そしてさらに,カタルシスを与えるような物語を与える,あるいは「あなたはあなたのままでいい」などという確固たる肯定感を受け付けるようにすれば,儀式を主宰する人,団体に心酔しやすくなるに違いない。絶対たる肯定感を権威者から与えられたら(例えば,神様がそれでよいと言っている,のように),その人は安心して性格,行動なども変わる可能性が高くなる。この効果の良い面に着目すれば(教えが性善として与えられれば),宗教は良いものだということになり,古来その良い効果を得るために宗教は信じられ,尊重されてきたのだろう。
このトランスを安易に得る方法もある。それは薬物などである。私の生まれる前だけれど,60年代~70年代にヒッピー文化というものがあって,そこではLSDなどを使って安易にトリップして価値観が変わる体験をすることが流行していたのだという。当時ビートルズだってインドのグル,マハリシに傾倒したし,カスタネダの呪術師ドン・ファンに関わる著作が話題になっていた(ちなみに私はカスタネダの著作は未読である。いつか読んでみたいけれどその機会と時間に恵まれていない)。ベトナム戦争など世界的に社会に不安を感じる人が多くなって,そうした精神世界に安定を求める人々が多かったということだろう。
暗示を与えるのであれば,宗教のミサのように人々をトランスに入れてから,寓意的な物語を植え付けるのが良いような気がするけれど,もっと劇的な効果が必要であれば,対象である人の人格を徹底的に否定するようなことを長時間して,それから絶対的な肯定をしてあげる方法もある。これを宗教的儀式と同様に特殊な環境下で行えば非常に効果的である。さらに人格否定を集団で個人に対して熱狂的に行えば,より効果的な異常な雰囲気を作り出すことも容易になる。ただし,こちらは人を他人や団体の欲望・利益のためにコントロールしようという面が強く,社会的ではない。
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