2025年1月13日月曜日

深層心理の操作法としての宗教的儀式について(2)

 宗教的儀式は,人々をトランスに入れ深層心理を操作することによって「救われる」などという考えを植え付けることが目的ではないだろうか,という話の続き。(あくまでも個人的な考えです)

人々の集団をトランスに入れることは,「集団催眠」という言葉がよく知られているように比較的に容易であるといわれている(最近は「集団ヒステリー」という言葉を聞かなくなったが)。周囲の人々が次々とトランス状態になっていくと,自分もトランスに入りやすくなってしまう。催眠商法などがその最たる例である。

トランス状態に導きやすい環境ということにはいくつかの特徴がある。それらのいくつかを上げてみる。

まず環境の暗さ。明るいところでは顕在意識が強く働くため,暗示などが効きにくい。薄暗いところであると,潜在意識が優位になってきて,トランスに入りやすくなる。同じ映画を観るという体験でも,薄暗い映画館の中で観るのと,明るい自宅のリビングで観るのでは,その体験の深さが違うことはよく感じられるのではないか(だから映画は映画館で観たい!)。

「暗さ」というのは照度・輝度という単位で測られるものを指すだけではない。環境の「暗さ」とは,その土地土地の心理的な影響もある。伊勢神宮の参道の明るさと,因縁のある心霊スポットの暗さは,これは測定器で測れるものというよりも,自分の心理状態の反映が現れているといえる。なにか「ジメジメ」して「暗い」。「肌寒さを感じる」,「気味が悪い」という印象は,人間の感覚を鋭敏にし,一方で思考を内向的にする。結果,トランスに入りやすくなる(光の点滅も「てんかん」を引き起こすなど人間に大きな影響を与えるけれど,それはまた別の機会に)。

次に,音楽や詠唱。クラシック音楽には宗教音楽という分野があって,音楽の中でも最も古い部類に分けられる。例えば,「チャント」。古代のチャントはずいぶんと単調な音型の繰り返しであったらしい。それがグレゴリオ聖歌のようにだんだん複雑なものに進化していったとのことだけれど,人間はこうした単調な音型が繰り返されることによってトランスに入りやすくなる。歌われている内容などあまり関係ない。むしろ何を言っているのかわからないくらいがちょうどいい。それが繰り返されることにより,脳は感覚が鈍化していく。また,中~低音域の人間の声はやはり人に効果を与えやすいのは間違いがない。催眠術師の声がだんだん低く,ゆっくりと,やわらかくなっていくのもその効果を狙っている。仏教における声明などもそうだし(黛敏郎の「涅槃交響曲」などを聴いてほしい),躁状態に導くのであれば祭りにおける太鼓のリズムも人々を陶酔に誘い,効果的である。

炎ももちろん効果的である。ろうそくの灯がゆらめくのを見つめていれば心が無になっていくし,仏教の護摩祈祷などは炎の形が大きく変化して,それに集中することはさらに効果的である。

こうした考えてみると,教会やお寺のお堂で行われる宗教的儀式は,トランスに入りやすくなるような条件を複数備えていることに気づく。さらに集団で行われることによって,トランスに入りやすい人が呼び水となって,集団催眠のように多くの人を導きやすくなっている。残念ながら人間というのはそのようにできていて,潜在意識は「善悪」を判断することができず,儀式は私たちの深層心理に深く影響を与える。そうした儀式のなかで,歌や説教,効果音などによって,カタルシスを信者に与えることによって,人々は魂の浄化,救済を感じ,宗教家は信者を増やすことができる。なんとよくできたシステムだろう。人間が社会性を持ち始めてから,やはり儀式と宗教は人々をまとめるために必要不可欠のものだったに違いない。感心せずにはいられないのである。


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