2025年9月28日日曜日

ファッション今昔 (1) ~Tシャツ~

 私は服装にほとんど頓着しない方で,ほとんどユニクロばかり着ているのだけれど,最近の若い人の服装は,私のようなおじいさんからみるとずいぶんと私が若い頃と変わってきている。

まず驚いたのが,Tシャツの下に下着を着るのが普通になっているということ。私が高校生くらいの頃は,Tシャツのというのは素肌の上に直接1枚着るものだった。当時のファッション誌を見れば,ジェームス・ディーンがリーバイスの501を履いて,その上はヘインズの白Tシャツ(赤パック)を着るというのがカッコいいと呼ばれる基本形だったと思う。日本でいえば,吉田栄作がそうだった。たしか袖口を少しまくっていたような。。。

しかし今では下着を着るのが普通らしい。たぶん乳首が透けて見えるなどの問題を解決するためだと思われるけれど,その下着も透けないようにするのがマナーらしい。今はユニクロの五分袖のTシャツが素敵だけれど,おじいさんになってTシャツを着るのが難しくなってきた。やはり筋肉が落ちて(特に胸)腹が出てきたからだろう。そのうえ,真っ白なTシャツも痛々しく見えるようになってきてしまった。肌のハリがなくなり色もくすんでしまったからだろう。

白Tを着ることができなくなってきたのは本当に悲しい。白洲次郎のジーンズ・白Tの姿の写真が残っているが,彼のかっこよさが本当にうらやましい。

#そもそもジーンズを履くこともためらわれるようになってきた。トシだなぁ。


2025年9月27日土曜日

那覇の街で御嶽をめぐる

 電気学会電力・エネルギー部門大会に参加するため,一週間近く沖縄那覇に出張してきた。素晴らしい天気に恵まれ,実り多い学会だったけれど,出張最終日の移動日である土曜日の午前,フライトの時間まで那覇の街を散歩した。それは,那覇の街に点在する御嶽をめぐるためである。

沖縄はオカルティックな場所として,たいへんに魅力的である。あちらこちらの島にいまだ多くの神事の儀式が残っているし,数は少なくなったとはいえノロ,ユタといった特別な能力をもっているといわれる人たちも日常生活の中に生き残っている。本州にも聖地や霊能者がもちろん存在するわけだけれど,そうしたオカルト的な人やモノの濃度が沖縄はずっと高いような気がする。そういった意味で私にとって沖縄はたいへんに魅力的な場所なのである。

さて,御嶽(うたき)である。これは琉球の宗教において儀式を行う場所である。こうした琉球王朝によって認められた祭事所が沖縄のあちこちにあり,それらはいまも地元の方々によって維持されているのだ。今回は訪れることができなかったが,重要で有名な御嶽などは山や岩などが聖域のシンボルとなっているけれど(観光地にもなっている),街中にも祠が置かれて御嶽と呼ばれている。

Google Mapによれば泊っていたホテルの近くにも3つ,4つあるということなので,どんなものなのか散歩がてらに見に出かけたのである。

一つ目の御嶽。街中の小さな公園の隅にその祠はあった。祠の中にはなにかで使用された石?のようなものがあって,廃墟ではないことがわかる。しかし,なにも文字などは書かれていない。これがほんとに御嶽なのかとずっと疑問に思って周りをうろうろしていた。

小さな公園の片隅の祠

二つ目は,立体駐車場の1階奥に見つけた。駐車されたバイク列の向こうの草むらにその祠はあった。本州だったらとっくに移動されているだろうけれど,ここでは大事にされてそのままに保存されているようである。しかし,いったいどんな神事がここで行われるというのだろう?

立体駐車場の奥にあった祠

これらの御嶽は,本州でいうところの各集落の神社みたいな役割なのかもしれないが,御嶽の方がより私たちの生活に近いようだ。御嶽の祠はあまりに自然に街に溶け込んでいて,見つけたときに,おっ,と驚かされる。実はもうひとつの御嶽も探していたのだけれど,とうとう見つけることができなかった。たぶん工事中の2階建て駐車場の工事中の囲いの中にあったのだろう。

今回はほんの1時間程度しか御嶽巡りができなかった。しかし,がぜんと興味が湧いてきた。もっともっと御嶽をめぐってみたい。そしてどのような神事がおこなわれるのか,この目で見てみたい。私の中で沖縄の魅力はますます増している。

#おまけ。沖縄では路地などにこうした「石敢當」と書かれた塀,石などをよく見かける。これも魔除けである。



2025年9月15日月曜日

生殺与奪の権を任せることができる人

 あなたには生殺与奪の権を任せることができる人がいるだろうか。すなわち,その人が私を殺そうとすればすぐに殺すことができることができる人,自分の命を預ける人が。

私には思い当たる人がひとりいる。それは,いつも通っている床屋の主人である。

床屋ではカミソリを使って顔の毛を剃る。このとき,カミソリの刃は私の首筋に当てられている。そう,主人に魔がさして悪い考えが浮かび,そのカミソリをちょっと横に引くだけで私の命はなくなるのである。実は私は顔を剃るたびにそのことを心の中で思っている。

もちろんそんなことは起こらないと主人を信用しているのだけれど,それはなぜかと考えてみた。

それは主人が私にそんな悪い考えを持たないと私が思っているからである。主人にそうする必要がない。私を殺そうとする動機がないからである。それくらい良い距離感で人間関係が薄いからである。もしも変に知り合いで,お互いなにか心の中に抱えているのであれば,とても怖くて顔を剃らせることはできなくなるだろう。床屋の主人と客というほどほどに薄い人間関係こそが,私を主人に生殺与奪の権を任せることができる理由なのである。

漫画「北斗の拳」において,敵となる北斗琉拳の遣い手の将,ハンのエピソードとして,ハンがハンの髭を剃る男の心の動きを察して,カミソリをもつ男を震え上がらせる場面がある。あんな風に私も人の心の動き,他意を察知することまでできるように精進したいものである。

2025年9月14日日曜日

「引き寄せの法則を全部やったら,効きすぎて人生バグりかけた話」がかなり面白かった

 この数年,角由紀子という女性の活躍がオカルト界隈では話題となっている。彼女は不思議系サイトの「TOKANA」を立ち上げて編集長を務め,辞めたのちはYoutuberとして華々しい活躍をされている。そんな彼女の単独初著作が出たので読んでみた。

「引き寄せの法則を全部やったら,効きすぎて人生バグりかけた話」(角由紀子,扶桑社)

たいへん興味深い内容であった。「引き寄せの法則」というのはスピリチャルの世界ではもう10年近く(?)流行っている概念で,ポジティブな思考がリアルな世界に影響を及ぼし現実化するというものであるが,私がこれを信じているかといわれると結構否定的である。いわゆる「思考のバイアス」が働いて,なにか良いことが少しでも起こればそれは,「引き寄せ」が働いたのだ,と思ってしまうことが基本的な構造だと思っている。まぁ,現実世界の(村上春樹が言っている)小確幸に注目し,毎日を精神的に幸せに過ごすことは大変良いことだと思うけれど,実際の良いことにあう確率が高くなるとは簡単には信じられない。もちろんネガティブな考えをもつよりもポジティブな考えに基づいて行動したほうが成功の確率は高くなることは,そのとおりだと思うけれど。

さて,本書である。タイトルには「引き寄せの法則」とあるけれどあまりそんな印象は受けなかった。実際の内容は意識の変性,変革を起こすといわれているスピリチャルな方法を,実際に著者が試してみた体験談となっている。これが生々しくてたいへんに面白かった。著者が試したものは,

  • シータヒーリング
  • 倍音セラピー
  • タマエミチトレーニング
  • ヘミシンク
  • ブレインマシン「KASHIMA」
  • アイソレーションタンク
  • アヤワスカ儀式
  • ブッダ直伝瞑想

である。私は常々,人間の意識というものは容易に変性意識に導かれて変革されるものだと思っていて,自己啓発セミナーなどによる暗示・催眠・洗脳,薬物,光と音の刺激などの手段がそれを実現するものだと思っているのだけれど,どれも怖くて手を出せない。それを上記の多数の項目を試してみてその体験談をまとめているこの著書は大変に興味深い。彼女はこれらの方法を試すことによって幽体離脱やハイヤーセルフや菩薩様にあうことなど,種々なオカルト体験をしているのである。

特に南米の奥地までいって,現地の霊能者等に導かれておこなったアヤワスカ儀式のルポは素晴らしい。アヤワスカというのは幻覚を引き起こす植物で,その茶を飲んで儀式を行う。詳細は本書を読んでもらえばよいが,多くの人格が現れてそれを俯瞰する意識の存在を実感したのだという。たぶん幻覚剤によって深層意識までが表出しいろいろな感覚を体験したということになるのだろうが,私はそれを体験しようとしてアマゾンにまで行こうなどとはとても怖くて思えない。著者の勇気を尊敬するとともに,体験したことは非常に貴重であると思う。

最終的にスピリチュアルな手段に頼らず,原始仏教的な瞑想をして変性意識にならずに丁寧な生活を心掛けるような心持ちになって,沼っていたスピリチュアルからデトックスした著者のスピリチュアル旅の現時点が興味深い(今はまた別の脳のトレーニングを試しているようだけれど)。

意識に働きかける手段(スピリチュアルな体験)を求めている人には,よいガイドになるのではないだろうかと,本書を推したい。

2025年9月13日土曜日

ぼうさいこくたい新潟

 9月6日,7日は,新潟市の朱鷺メッセで開催された「ぼうさいこくたい2025」に参加してきた。大学の「地域防災実践研究センター」として,新潟県のぼうさいフェアとあわせて,展示を10件も出展していたので,そのうちのひとつ「雪と倒木のデータプラットフォーム」の担当として説明に立っていたのである。

各展示の内容については,センターのウェブページを見ていただくことにして,今回は「ぼうさいこくたい」の印象について少しだけ書き残しておく。

「ぼうさいこくたい」は「こくたい」の名前通り,1年に一回,各都道府県を回りながら開催される,防災,減災などに関わる取り組みについて発表し,技術交流・意見交流をすることが目的の展示会である。各自治体,インフラ,NPOなどの情報交換の場になっているだけでなく,企業などにとっては商談の場となっている。

一昨年は横浜,昨年は熊本開催,今年の新潟で10年目の開催ということになるが,今回の新潟開催では過去最高の400を優に超える展示の申し込みがあったとのことである。また来場者も1万9千人以上あったとのことで,近年の災害の高頻度化,激甚化を背景に年年注目が高くなっているのは間違いなさそうである。

初日には,坂井内閣府特命担当大臣,花角新潟県知事,中原新潟市長などが列席されてオープニングセレモニーが行われ,翌日には,愛子様がいらっしゃった。私は愛子様が参加されたセッションのひとつ(能登半島地震の現場からという話)に一緒に参加させていただいたので,愛子様のお姿を拝見することができた(熱心にメモを取られてプレゼンを聴かれていた)。初日,二日目とSPと警察の警備の数は凄かったが。

今回思ったのは,技術者は,現場の声をちゃんと効果的に収集することができているのだろうか,という疑問であった。災害現場にいなかった私たちは,得てして勝手な想像で防災,減災の技術を研究開発しようとしてしまう。そこにはどうしても「見落とし」が発生しやすくなってしまう。本当に重要なサポートはなんなのか,そしてそれを実現するための技術とはどういうものなのか,それらを現場からのフィードバックをもとに考えていくのは至極当然のことである。しかし,こうした災害現場の生の情報は,研究に関わる技術情報と違って学会などにいって比較的容易に入手できるものではなく,一般の方々の中にはいって吸い上げなければなかなか集まらないものなのである。そのためにアンケートなどの聞き取り調査が行われるのだけれど,「災害時に不便であることは当たり前」というバイアスが避難している方々の思考にもかかってしまい,なにかに不便であるという情報が見えなくなってしまうということが起こっているのではないか,という懸念を持ったのである。

今回はそういったことに気づかされたぼうさいこくたいであった。来年は鳥取県の開催とのことである。

金運上昇で有名な高龍神社に参拝する

私は 神社を参拝することは大好き なのだけれど, まだ地元長岡の神社をすべてお参りできたわけではない。今回は,金運アップで有名な(らしい)高龍神社にお参りしてきた。 初夏,学会で長岡にいらした方も「高龍神社」にわざわざ参拝に出かけられていたくらい金運アップで全国的に(一部,龍神フ...