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哲学者,思想家の説明力に驚嘆する

普段このブログは平日更新を心がけているのだけれど, 今日は特別に更新。 「私の身体は頭がいい」 (内田 樹,文春文庫) を読了。 (息子の運動会の"場所取り"の待ち時間で読んだのだけど) 内田樹氏は,フランス哲学の教授にして, 合気道家でもある思想家(?)である。 神戸女学院大学にお勤めとのことで, ずいぶんと近いところに居られるのだということは, 最近になって初めて知った。 少し前から,氏(とか呼んでいいのかな。やっぱり先生と呼ぶべきかも)の ブログにはたびたびお邪魔し, その記事の明快な論理性に惹かれている。 その内田氏が武道について著された本が文庫本化されたので, 内田ワールドへの手始めとして読んだのである。 氏は合気道の修行者であり, 身体性への考察が非常に面白い。 また合気道という武道の特殊性についても はっきりと認識され,それについても素晴らしい説明をされている。 そして,この著書の中で氏は武道の第一の目的は, 「生き延びること」であると述べられている。 そのために,「敵」という概念には, 危害を加える人間に限らず, 天災や病気のウィルスも含まれる。 そして,この「敵」 (主体ー他者)の二元論からの脱却を目指すことこそ 武道の目的なのだと喝破されている。 ...昨日,私も偶然にも「武道の目的」について ブログの記事を書き,それは"survive"することだと述べた。 その目的はほぼ一致している。 これについては驚き,正直うれしかった。 武道というものは武技に限らない総合的なシステムであるという私の考えは, それほど遠くないのであると勇気付けられた。 (というか,武道修行者ならばみなそう思うのだろうか?) しかし,ショックだったのは,その説明力の素晴らしさである。 哲学者,思想家というものは,ここまでクリアに論理をすすめ, 読者に(なるべく)正確に自分の考えを伝えることができるものなのか。 そうしたことに感動し,その一方で自分の論理展開の幼稚さを恥じた。 それがショックだったのだ。 もちろん,工学的な論文というものにはよりクリアな論理展開が求められる。 あいまいさは許されない。 それが介入しないために私たちは数式とデータを用いるのだ。 (時々,データの解釈には問題が生じることもあろうが) しかし,それはあくまでも事実...

武道の目的とは?

もう武道を修行し始めて24年にもなろうとしている. 残念ながら未だ至らず,人に自慢できるものではなく, 下手の横好きといった具合で, ほそぼそと道場通いを継続している程度なのではあるが. しかし,私の人生に「武道」が占める割合はすこぶる大きい. 武道の存在なくして,今の私はありえない. そんなところまで深く入り込んでしまっている. なぜこれほどまでに武道にひかれるのか. これから少し考えていきたい. ということで今回は,まず武道の目的は何か. 考え始めるとなかなか難しいのかもしれないが, 私は単純に「Surviveすること」と考えている. Surviveするということは, 「敵」というものと戦って負けないということであり, 不利な状況においても生き延びようとすることであり, そうした不利な状況に陥らぬよう危険を察知することである. ここらへんは,誰もが武道からイメージしやすいことだろうけれど, この他には, 周囲の人たち・状況に適応すること, 自分の能力のすべてを開発し使用する技術を磨くこと, などが含まれる. これらは,ちょっと武道という言葉からはイメージしにくいかもしれない. だが,Surviveする,という目的のために, (これらは日常生活をおくる上でも) 非常に有用なことである. これらの目的が通常言われるスポーツとは異なることが理解できるだろう. 武道というのは,単に武技を学ぶだけが目的ではないのである. 身体的・精神的に統合された非常に高度なシステムなのである. 中学校の体育に武道が採用されたからといって, これらを教えることはたぶん相当に難しい. しかし,だからこそ一生をかけて学ぶ価値がある. そして一度はまったら, もうその魅力から逃げだすことができなくなるのである.

プロジェクトXは工学にとって福音となったのか

工学離れが深刻である. 文科省の調査によれば,この10年で 工学系志願者の数がほぼ半減したのだという. 一方,医学,薬学は増加し, 看護,医療,保健などの分野は倍増している. これは高校生が不透明なこの世の中で, 資格などに魅力を感じているからだと推測されている. また工学は分野が多岐にわたりすぎており, 高校生からは内容がよく見えないといった理由もあるのだという. 内容が分かりやすい建築工学科など デザイン系は工学系のなかでも健闘している. 一方,電気や機械といった古くある分野は, かなり苦戦しているのが現状である. ちょっと以前のことになるがNHKのTV放映で 「プロジェクトX ~挑戦者たち~」 という番組があった. 私も最初のころは,その面白さに 毎週欠かさず見ていたものである. このころ,よく言われていたのが, この番組によって 理工系離れに歯止めがかかるのではないか, というもの. 私もそれを期待していた. それでもこの工学離れ. どうしてなのだろうと思っていたのだけれど, 数年前,ある予備校の方からのお話で納得した. その方のお話によれば, プロジェクトXは確かに素晴らしい. 感動する. しかし,親は子供たちにあのような苦労をさせたくない, と思うのだそうである. だから理数系の科目の成績が良いと 医薬系への進学を勧めるのだという... (おなじ医学でも苦労が予想される 産婦人科,小児科などの人気がないのは, 周知のとおりである) なんとあの福音とも思えた プロジェクトXは, 実は工学離れを加速させていた のである! 親からして子供に楽をさせようと考えている. 確かに理工系は,つらいこともある. それでもやはり面白い分野なのだと思うのだ. 日本人はとくに,ものづくりに向いている国民性なのだと思う. しかし,苦労が報われていない,という印象も否めない. マネーゲームで巨額の富を稼いでいる人たちを横目で見ながら, ひたすら地道に工夫を重ねている人たちは やはり報われていないような気がする. では,理工系離れを止めるにはどうすればいいか. 簡単である. 私はなんども言っている. 理工系の給料を今の倍にすればいいのだ. 健全な苦労が報われる健全な社会になればいい. ものづくり国家というスローガンを挙げている日本なのだから, もっと工学者が優遇されてもいい. 私は...

温泉で英気を養う (電力システム研究交流会)

月曜日,火曜日と仙台の作並温泉に出張し, 電力システム研究交流会 に参加してきた. 電力システム研究交流会とは,大阪大学の2研究室の他, 北海道大学,茨城大学,横浜国立大学の合計5つの 電力システムを研究している研究室を中心として開かれている 学生たちの交流を目的とした会である. もともとは, FRIENDS (Flexible, Reliable and Intelligent Electric eNergy Delivery System) という高機能な電力システムの研究会が母体であった. FRIENDSというのは...と,今回は説明は割愛して(笑), 毎年幹事校を決めて,全国のあちらこちらで夏休み中に開かれる. 昨年は大阪大学の私の所属する研究室が幹事で, 青山高原の風力発電所の近くの榊原温泉で開催された. 今年は,横浜国立大学が幹事となって仙台の作並温泉で開かれたのである.(横浜国立大学の皆様,ありがとうございました) 初日は,各研究室が毎年定められるテーマについて発表する. 今年のテーマは「電力・エネルギー問題を解決する21世紀の革新的技術」 であった. 学生たちは,自由な発想にて発表を行う. そして,教員が発言を禁じられているのが, この交流会の特徴である. 途中,なんども口を出したくなる. 「そうじゃないよ!」 でもぐっと教員は言葉を飲み込んで耐えるのである. 学生たちは先生方の目を気にせず, 言いたい放題できる,それがこの交流会の良いところなのである. とはいえ,ちょっと常識的な議論が多かったかな,と不満に思う. もっとざっくばらんに,なにが有力なエネルギー源なのか, 私たち研究者は(大風呂敷を広げて)地球を救うために何をすればよいのか, そんな議論があってもよかったのではないかと思うのだ. みな電力・エネルギーを専門としているために, 逆に発想が縛られているような感じがした. といっても,私もいいアイデアがあるわけでもなく, だから若い皆さんに期待するのだけれど. 夜は懇親会. 学生,教員たちの交流がメインである. 学生たちは,各研究室で余興を準備し, 披露し,そしてスベっていった(笑). しかし,ごめんなさい. 私はずいぶんと体調が悪くて, あまりお酒も飲めなかった. 懇親会の前に,温泉にもつかり, 身体を温めてはみたものの,どうもいけなかった...

9/25

不在です.

実践こそ工学

私が好きなBruce Leeが好きだった言葉に, Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do. というものがある. もとはゲーテの詩が出典らしい. 哲学に傾倒していた彼らしい. 知るだけでは十分ではない. やはり実践が伴わなければいけないのだ. 孔子は思想家であったけれども, すぐれた実践者でもあった. 残念ながらその機会にはほとんど恵まれなかったけれど. しかし,その弟子のひとりである子路は すぐれた治世を行ったといわれている. 私が好きな王陽明は, 知行合一 を命題とし, 事上磨錬 をモットーとした. また私が好きな思想家のひとりである墨子は, 優れたengineerであったという. 実践なくして知識はその用をなさない. 知識の実践こそが工学であると思う. しかし,実学だからといって 目前の問題だけにとらわれていてはいけない. 工学とは,単なる技術ではなく, 大きな視野をもった学問であるべきだとも思うのである.

工学者であること

工学とは,科学技術にお金をかけたものである. 確か私の恩師のS教授から伺った言葉である. 理学では,コストを度外視しても,その結果, 宇宙の真理に近づく成果が得られれば, それで良しとされる. 一方,工学では常にコストが重視される. コストさえかければ出来てしまうことも多い. (いくらコストをかけても出来ないものも多いが) 例えば耐震構造. お金さえかければ,非常に大きな地震が来ても 耐えうる建物は実現可能だろう. 免震だってできる. しかし,それでは現実的ではない. つまりはコストが見合わないということである. 実際には,地震の確立や大きさなどを 適切に評価し,最小のコストでそれをクリアできるよう, 設計がなされる. それが工学である. 工学者を育てるには金がかかる. これは前職場の研究者の方から聞いた言葉. 工学ではコストが重視されるのだから, コストの感覚,リソース管理のセンスが必要となる. それを得るためには,ある程度の金を使わなければならない. そういう意味である. しかし,だからこそ工学者のセンスというのは 非常に信頼されてきたのだと思う. 以前,講演で聞いた話なのだけれど, 一度日本に進出しようとして失敗したハンバーガチェーンの マネージャは,MBAよりもエンジニアのセンスを信頼する, と話していたそうだ. 確かに工学者は,つねに工程表を意識している. コスト,時間,人のリソースの管理を行っている. 最小のeffortで最大のoutcomeを得るように動く. それがまさに工学の考え方である. S教授は次のようにも言っていた. 古代においては, 理学はphyrosophyに分類されており, 工学はartに分類されていた. (だから理学博士はPh.Dであり, artificialは,人工的という意味なのだ) 私たちは工学者であることに誇りを持ちたい.