2007年9月30日日曜日

哲学者,思想家の説明力に驚嘆する

普段このブログは平日更新を心がけているのだけれど,
今日は特別に更新。

「私の身体は頭がいい」 (内田 樹,文春文庫) を読了。
(息子の運動会の"場所取り"の待ち時間で読んだのだけど)

内田樹氏は,フランス哲学の教授にして,
合気道家でもある思想家(?)である。
神戸女学院大学にお勤めとのことで,
ずいぶんと近いところに居られるのだということは,
最近になって初めて知った。

少し前から,氏(とか呼んでいいのかな。やっぱり先生と呼ぶべきかも)の
ブログにはたびたびお邪魔し,
その記事の明快な論理性に惹かれている。
その内田氏が武道について著された本が文庫本化されたので,
内田ワールドへの手始めとして読んだのである。

氏は合気道の修行者であり,
身体性への考察が非常に面白い。
また合気道という武道の特殊性についても
はっきりと認識され,それについても素晴らしい説明をされている。

そして,この著書の中で氏は武道の第一の目的は,
「生き延びること」であると述べられている。
そのために,「敵」という概念には,
危害を加える人間に限らず,
天災や病気のウィルスも含まれる。
そして,この「敵」 (主体ー他者)の二元論からの脱却を目指すことこそ
武道の目的なのだと喝破されている。

...昨日,私も偶然にも「武道の目的」について
ブログの記事を書き,それは"survive"することだと述べた。
その目的はほぼ一致している。
これについては驚き,正直うれしかった。
武道というものは武技に限らない総合的なシステムであるという私の考えは,
それほど遠くないのであると勇気付けられた。
(というか,武道修行者ならばみなそう思うのだろうか?)

しかし,ショックだったのは,その説明力の素晴らしさである。
哲学者,思想家というものは,ここまでクリアに論理をすすめ,
読者に(なるべく)正確に自分の考えを伝えることができるものなのか。
そうしたことに感動し,その一方で自分の論理展開の幼稚さを恥じた。
それがショックだったのだ。

もちろん,工学的な論文というものにはよりクリアな論理展開が求められる。
あいまいさは許されない。
それが介入しないために私たちは数式とデータを用いるのだ。
(時々,データの解釈には問題が生じることもあろうが)
しかし,それはあくまでも事実の描写であり,
理論,仮説の説明である。

こう考えると,工学的な理論,仮説というのは,
人間の考えに比べるとずいぶんと単純なものであるということに気づく。
いや,理論,仮説というものは万人に理解されうるべきものでなければならず,
基本的に単純であることが求められるのだ。

一方で,人間の思考というものはその発生時点からして複合的である。
あるひとつの単純な論理だけが初めから生まれてくるということは
ほとんどないのではないか。
多岐にわたる複合的な思索の結果として,単純な結論に至る。
そうしたものなのだろうと思う。

したがって,その結論に至る過程を誰にとっても理解してもらえるように
説明することは,その決して順序立てて想起されたのではない思索を
系統的に解きほぐし,そこに論理性を持たせるようにしなければならない。
理工学の論文とは難しさが違う。
それができるのが哲学者,思想家なのであろう。
そうでなければ,思索のプロとは呼ばれない。

しかし,いま,この私の考えを説明しようとするだけでも,
自分の未熟さに悲しくなる。
どうやったら自分の考えをより精度良く伝えることができるのだろうか。
いや,それ以前に,自分の考えをより精密に構築していけるのだろうか。
そうした力を私は身につけていきたい。

このブログは,短時間に書きつけているのが常であるが,
少しでもこの説明力を磨こうと思う。

氏の文章を読んで,ちょっとショックだったので,
今日は特別にブログを更新した。
それほど衝撃的だったのだ。

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