2007年9月20日木曜日

工学者であること

工学とは,科学技術にお金をかけたものである.

確か私の恩師のS教授から伺った言葉である.
理学では,コストを度外視しても,その結果,
宇宙の真理に近づく成果が得られれば,
それで良しとされる.

一方,工学では常にコストが重視される.
コストさえかければ出来てしまうことも多い.
(いくらコストをかけても出来ないものも多いが)
例えば耐震構造.
お金さえかければ,非常に大きな地震が来ても
耐えうる建物は実現可能だろう.
免震だってできる.
しかし,それでは現実的ではない.
つまりはコストが見合わないということである.
実際には,地震の確立や大きさなどを
適切に評価し,最小のコストでそれをクリアできるよう,
設計がなされる.
それが工学である.

工学者を育てるには金がかかる.

これは前職場の研究者の方から聞いた言葉.
工学ではコストが重視されるのだから,
コストの感覚,リソース管理のセンスが必要となる.
それを得るためには,ある程度の金を使わなければならない.
そういう意味である.

しかし,だからこそ工学者のセンスというのは
非常に信頼されてきたのだと思う.
以前,講演で聞いた話なのだけれど,
一度日本に進出しようとして失敗したハンバーガチェーンの
マネージャは,MBAよりもエンジニアのセンスを信頼する,
と話していたそうだ.

確かに工学者は,つねに工程表を意識している.
コスト,時間,人のリソースの管理を行っている.
最小のeffortで最大のoutcomeを得るように動く.
それがまさに工学の考え方である.

S教授は次のようにも言っていた.

古代においては,
理学はphyrosophyに分類されており,
工学はartに分類されていた.
(だから理学博士はPh.Dであり,
artificialは,人工的という意味なのだ)

私たちは工学者であることに誇りを持ちたい.

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