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英語さえ理解できたら

海外からのお客様が来て, 昼食がヨコ飯になることがある. 金曜日もそうだった. 英語は全然得意じゃないのだけれど, とにかくコミュニケーションが取れるように頑張る. なんとか意志の疎通はできたいたようだ. なんどもこのブログにも書いているけれど, やっぱり英語は大事である. 最近のインターネットの普及をみても, やはり英語が不可欠なことを痛感する. 英語が理解できれば,日本語だけの知識世界が 何十倍にも大きくなるだろう. 自分がどれだけ大きな世界に生きているか. 日本語世界は所詮,井の中の蛙の世界なのだ. 残念ながら,英語が現在の世界の標準語である事実は 動かしようがなく,私たちはある程度それに 従わなければならない. 英語の論文を読み,英語の論文を書く. かなりのデスアドバンテイジではあるけれど, 自分の国と異なる文化を読み解いていくという 楽しみはある. また,英語以外を母国語としている海外の方々と コミュニケーションを取ることができる. そう考えると,英語を勉強する楽しみもあるというものだ. 最近,車の中でよく流しているラジオ局のCOCOLOでは, 夜に「ウルフマンジャック ショー」を流している. もちろん,DJウルフマンジャックは既に亡くなっていないから, これは当時の録音をデジタルリマスタリングして, 再放送しているということでなのだけれど. この放送を聴いていると,彼のおしゃべりがすべて理解できたら どんなに楽しいことだろう,と思う. また,最近話題になっているハーバード大学の マイケル・ザンデルの講義 "JUSTICE with Michael Sandel"が 英語でそのまま理解できたらどんなに嬉しいだろう. あの討論に参加してみたくなる. もちろん,ハリウッド映画だってそうだ. 字幕でなくて,英語ネイティブの人たちと一緒のタイミングで, 笑いたい,と思う. つまりは,こうやって英語を学習しようとするモチベーションを 高めていけば,英語を勉強するのが嫌だというハードルを 下げることができるのだろう,と思う. 心理的なハードルを下げることがまずは大切だ. そもそも英語は簡単なはずなのだ. そうでなければ,世界の標準になるはずがない. イギリスやアメリカでは子供だって英語を話している. 私たちに話せないはずはない. ということで自分を...

20年後にLADY GAGAを聴くのだろうか

このブログにはクラシック音楽の話題が多いけれど, 私は別にクラシックばかりを聴いているわけでもない. 適当にいろんな分野の音楽を聴いている. もちろん,最近の音楽も耳にしているわけで, ロックもポップスもヒップホップも聴くことがある. (とはいえ,CDを購入するのはクラシックが ほとんどなのだけれど) しかし,そうした音楽を聴いていて思うのは, こうした音楽が一体いつまで残っているだろうか, ということなのである. もちろんLADY GAGAだって素敵だと思うのだけれど 最近聴いて,すごくいいなぁと思ったのは Olivia Newton-johnの"Xanadu"だったのである. オリビアの伸びのある声と きれいなメロディラインがホッとさせてくれる. でも"Physical"だってもう30年も前のヒットなのだ. (ちょうど私も中二病だったのか, 洋楽を聴くようになったばかりで,特に印象に残っている) それが今でも良いと思えるのは, やはり曲自体が持っている力なのだろう. 美しいメロディをもつ曲は何年経っても 色褪せない.EverGreenなのである. 最近,よく聴くようになったラジオ局はFM COCOLOである(大阪). このラジオ局がユニークなのは,Over 45, つまり45歳以上をリスナーのターゲットとしていることである. (私はまだその年齢ではないけれど) 70年代,80年代に活躍したアーティスト中心の 選曲となっているのだ. (当時のアーティストたちの最近の曲なども多い.Sadeとか) 聴いていて気持ちが楽になる. そうした楽曲に安心してしまう自分が すっかりオヤジなのだと再認識させられたわけで, それはそれで複雑なのだけれど... この前,雑誌Rockin' Onの活字が大きくなったという 記事の見出しをちらりと見た. ロックファンというのは,若い人だけでなく 私よりも上の年代も多いのだろう. (そもそも現代はロックは流行っていなくて 若い人が少ない?) ロックも高年齢化が進んでいるのである. --- 今の若い人達は,20~30年後にLADY GAGAとか 聴くのだろうか? 生活の中で,ふと今流行の曲を思い出す...

書類の電子化って素晴らしい

以前勤めていた職場から, 私の資料が入ったダンボールが届いたのは, 2ヶ月前のこと. それからずっと机の下,足元に置いてあったのだけれど, 今日ようやくそれを片付けた. 片付け方は簡単. 不必要なものは捨てて, (3.5インチフロッピーとか) 必要な書類は電子化したのである. ダンボールの中身はあっという間にカラになり, 足元はずいぶんとすっきりとした. いやぁ,電子化って素晴らしい. その有難味がよくわかる. まずは収納スペースが不要だ. 私のファイルキャビネットや本棚は 長年たまった資料で溢れ始めている. うまく整理をするためには10%の余分スペースが 必要だとされているが,それが無くなりつつある. (いや,もうすっかり無い) 電子化はそれを解決してくれる. また,うまくファイルに,タグに相当する名前を付ければ, 検索も簡単になる. 「えっと...あれはどこに行った?」とあたふた探す必要もなくなる. PCの中にあれば,Google Desktopなどで検索すれば良いのだ. 問題は,(1)電子化する手間と,(2)バックアップ,(3)携帯性だろう. (1)については,机上にスキャナがあれば最高だけれど, 残念ながらその購入資金も,机上のスペースも無い. しかし,現在はコピー機が賢くて,pdf化をサッと行ってくれる スキャナ機能がついている. 個人用のスキャナーと違って読み込みが早いぶん, その手間は少ない(実は私の席はコピー機に近いのだ). そのちょっととの手間さえ惜しまなければ問題ないと思われる. (2)については,定期的にバックアップを取ってはいるけれど, 基本的なルールが確立していない. なにか良いバックアップツールを探そう. 研究室には,バックアップ用のネットストレージもある. これをうまく使うことを考えることにする. (3)が頭が痛い. 紙のファイルであれば,さっと持ち出すことができるが, これがPCの中のファイルだというとちょっと困る. USBにコピーして,かつ読むためにNOTE PCを 立ち上げなければならない. この問題のために,当分は,電子化するのは 持ち出すことが少ない資料(特に過去のもの)に 限られることになるだろう. これを解決するようになるには, Webからアクセスできるウェブストレージが発達し, iPadのような閲覧に適して,持ち運びに便...

「ゲゲゲ」をみて,マンガ文化を思う

今朝,NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」をちらりと見た. 私は,ほとんど9割方見ていないのだけれど, 実は結構面白く,気になっている. なんというか,ストーリー展開が落ち着いているし, 出てくる俳優のみなさんもしっかりしている. 安心してみていられるドラマなのである. 初回は視聴率が低いと新聞に出ていたけれど, なんとか持ち直して欲しいと思う. さて,今朝の話では,水木しげるがいくつかの 出版社に漫画を持ち込むのだけれど, 妖怪漫画じゃ売れない,と断られていた. すでに「墓場鬼太郎」は出版され, 「鬼太郎物語」も巻を重ねていたというのにである. ちなみに,売り込みしていた漫画は 「河童の三平」だったが... つまり,当時はアクションものが全盛で, 鬼太郎のような妖怪漫画は全然売れず, 出版社としても引き受けることができない,という 時代だったのである. 昭和37年(らしい)という時代が, 鬼太郎を読むには早すぎた,ということなのである. このドラマを見て,現代はいかにマンガに寛容な 時代になったのかと思った. 今のマンガは,極論をすればストーリーがなくても 平気である. 題材も,恋愛,恐怖,アクション,政治となんでもあり. それらを享受できる私たちはなんて幸せなのだろう. ここまで日本の読者が育ってきた,ということなのだろう. 日本のマンガは,大変に深い. 単純なアメリカン・コミックとは大きくその内容を画する. 最近は,マンガは世界に誇る日本の文化だということが 一般に認められてきたけれど, 昨日,今日のドラマでも,漫画なんか書いているヤツはダメだ, という話が出ていた. 50年前はそうだったのである. 50年をかけて,今の読者の土壌ができてきた. この長大な時間によるマンガ文化の発酵と, それを支えてきた(無名・有名関わらず)漫画家と読者の努力に, 頭が下がるのである. #私が最近読んでいるのは,「結界師」,「バガボンド」. 今更ながら「20世紀少年」(あと21世紀少年2巻を残す), 「のだめカンタービレ」. マンガでなくアニメとして「鋼の錬金術師」というあたりか.

AM2波によるステレオ放送

昨日の関西はひどい雨だった. 今朝もまだ雨は続いていて, 私の自宅がある地方では大雨警報のため, 小学校が休校となった. 子どもたちの喜ぶ顔と, うちの奥さんのうんざりとした顔が思い浮かぶ. 可哀想に... さて,叩きつける雨でフロントガラスの向こうが よく見えなかった通勤時, またまたNHK-FMを聴いていると, 少し気になる話が出ていた. ある投稿者の話なのだけれど, AM放送でステレオをずいぶん前に聴いた, というのである. 現在では,AMでもステレオ放送が可能だが, 昔は違った. しかし,その人は,2台のラジオをそれぞれ右と左に おいて音楽を聴いたというのである. モノラル放送ならば,同じ音がスピーカから出るはずだから, ステレオ感覚はないはず.と思って そのまま番組を聴いていたのだけれどそうではないらしい. なんとNHKラジオ第一と第二で,左右別々の音を放送して, 受信者は,一台のラジオを第一に,もう一台を 第二にチューニングすることによってステレオ放送を 楽しめたというのである. 事実は確認していないが,どうも試験的にそうした放送が されていたことがあったらしい. すごい発想である. そしてそれを試すNHKもスゴイ. ラジオ1台で聴いていた受信者は,右か左かに 偏った音楽が聞こえていたはずである. 2台で聴くわずかな人たちのために, 他の人たちが不利益を被っていたのである. この試験放送からの発展形としては, 1台のラジオに二つのチューナーを装備して, それぞれを片側ずつのスピーカに接続するということが 考えられただろう. しかし,ラジオが少し割高になるのと,チューニングが大変だ. やっぱり無理かな...と思う. たぶんFM放送が始まって,この2波方式は 中止されたのだと思うが, その後始まった1波にyほるAMのステレオ放送も 今はどうなっているのか,私は知らない. まだ続いているのかな... 現在では,RadikoのインターネットによるAM・FM放送との 同時放送が始まっている. AMでさえ,FMと同程度の音質である. もう昔の苦労はいらないのである. しかし,このRadiko. もっと便利にならないものかと思うのだけれど... (地域の制...

「放課後」は無かった

「放課後」という言葉を聞いて, そういえば自分はその過ごし方といえば, 部活動しかなかったことに気づいた. 学生に,学校が終わったら何をしている,と 尋ねると「適当に過ごす」と答える人が結構多い. 確かに部やサークル活動に参加していなければ, その過ごし方は自由気ままなはずである. しかし,私はその経験がないから, 一体何をしたらよいのか想像できないのである. 小学生の頃,放課後は「ポートボールクラブ」と 「ミニバスケットクラブ」で費やした. もちろん,補欠だったけれど, とにかく続けることが大切だと思って, 全然うまくならなかったけれど,6年の最後まで 頑張った. 中学生の頃,集団スポーツに嫌気がさして, 個人競技の「水泳部」に所属. 中学生だけれど1日3~4kmは泳いでいた. 冬でも筋トレや週末市が開いている 市営プールの特別講習に参加していた. (新潟だったから,帰りは髪が凍った) もちろん,タイムは非常に悪くて, 専門のフリーも,ときどき中距離で大会に出場した 平泳ぎも,全然ダメだった. しかし,他人を気にすることなく, とりあえずは自分のタイムを伸ばすことが目的だから, 比較的気楽に,打ち込むことができた. もう集団競技には戻れないと思ったのもこの頃. 高校生の頃,道着を着た先輩の女子部員の人たちに 憧れて(笑),やはり個人競技の「空手道部」に所属. とにかく毎日練習した. 週末も市営のトレセンに出かけて,筋トレと サンドバッグトレーニングをしたりしていた. 高校生くらいになると放課後は街に繰り出して, ウダウダ過ごすことも覚える頃だけれど, 私に限っては全くそんなことはなかった. 稽古一筋. 自分が強くなることを信じて,毎日練習していた. (もちろん,全然強くならなかったけれど) そして大学生の頃. 今度は「合氣道部」に所属. それから卒業するまでの9年間. 足繁く学校の道場に通う. 放課後は全くない. それどころか,週に2~3回, 始発電車に乗って本部道場での朝稽古にも参加. 空いている時間は稽古に費やすか, 飲みに行くのが基本で, 放課後をどうやって過ごすかということを 考える必要がなかった. そして就職. 結局,放課後をまったりと過ごす, という時間は私にはなかった. 大人になって,「放課後」という言葉に なにかしらの憧れを感じてしまうのも, 自分...

メールがロストしていることに気づかないという恐怖

4月の下旬の週末に,少し学校のメールサーバの 調子が悪くて,メールが届かなかった可能性があるとの 注意が後日メールで流れていた. その時はあまり気にも留めていなかったのだけれど, 以前にSummaryを投稿したある国際学会の Accept / Rejectの通知が,予定されていた日にちに なっても届いていないことに気づいた. 通知が遅れることなんてよくあることだからと, しばらく放っておいたのだけれど, 学会のWebページ上にもなんの説明もないし, 予定の日にちよりも10日も遅れているということで, 一緒に(別のSummaryを)投稿した助教のK先生が 学会の委員会に問い合わせてみた. すると学会からAcceptのメールが届いた. それでは,私も,ということで, 同様に問い合せるとすぐにAcceptのメールが届いた. (Acceptでホッとした) 実は学会の通知が届いていないということも, K先生に言われて初めて気づいたのである. (すっかり忘れていた...) もしかして誰も周りにいなかったら, 今もまだ気付いていなかったかもしれない. つまり,それらのメールは最初に述べた サーバがダウンしていた期間に 送られていたということらしいのである. よく考えてみると,これは恐ろしいことである. Acceptされた場合,Summaryの後に, Proceedingに掲載される予稿を 提出しなければならないのだけれど, その締切を過ぎてから,突然学会から 「まだ提出されていません」などとメールが 届くような事態になったら,目も当てられない. 今回は,K先生のおかげで事なきを得たけれど. 大事な連絡が,サーバの不調で 手元に届いていなかった,ということが, 実は今までにも起きていなかったとは限らない. そうした事実に恐怖したのである. 重要なメールでは,やはり相手に 届いているかどうかを確認する必要があるのだ. 今回,それをあらためて感じたのである. さて,ここで業務連絡. 4月23~25日の期間に私にあてて 重要なメールを送られた方は, あらためて送り直していただけますか. お手数をおかけいたしますが, よろしくお願いいたします.