2010年12月28日火曜日

静かなレクイエムが似合う小説:「虐殺器官」(伊藤計劃)

年末はずっと忙しい状態が続いた
(いや,まだ続いている)のだけど,
そんな私をずいぶん悩ませ続けたことがある.

それは,この

「虐殺器官」(伊藤計劃 著,早川文庫)

という一冊が面白すぎたこと.
仕事が忙しくても,合間を見つけては
読み続けてしまった.
就寝前,入浴中,通勤電車の中,
とにかくページを開くのが待ち遠しかった.
それほど面白かったのである.

個人的には,「リング」以来のヒット作.
久しぶりに面白いSFを読んだと
しみじみ思わせてくれた.

ポスト9.11の世界.
世界は情報技術の進展によって,
異常なほど管理されたものになっている.
それはテロ対策でもあった.
また医療の世界も,ナノマシンによる治療技術,
脳機能を直接制御することによる感情支配,
そんなことが当然に行われるものになっていた.

主人公はアメリカ軍の若い兵士.
彼も感情をコントロールし,暗殺部隊として
最適化されて,日々任務をこなしている.
テロは激減したが,その代わり
世界では虐殺が頻繁に発生していた.
主人公はその虐殺の首謀者を暗殺して回る.
だが,共通する虐殺の陰に
ひとりのアメリカ人の存在が浮かび上がってきて...

と,少しだけあらすじを紹介したけれど,
あらすじだけでは全然面白くない.
近未来を彩る種々のテクノロジーの描写が
非常にリアルで,それを読まなければ
この小説の面白さは伝わってこない.
まさに,神は細部に宿る,のである.

こうしたディテールの上に構築された
この物語は,SFでなければ描けない問題,
しかし現在の私たちの世界から地続きである
世界の問題を取り扱っている.
この着想といい,ディテールを支える博識といい,
そしてそれを描ききった筆力すべてが,
著者の並外れた実力を示している.

タイトルの通り,描かれる情景は,
もちろん虐殺の現場で,凄惨極まりないのだけれど,
その描写はなぜか詩情にあふれ,時には美しさまでも
感じてしまうほどなのである.
事実,この小説を読んでいるときに私が聞きたくなったのは,
フォーレのレクイエムと,バッハのミサ曲ロ短調,
ブルックナー交響曲第9番なのである.
これが作者の狙いだとしたら,
私はこの著者の感性と筆力に全くもって
(しかし喜んで)敗北するのである.

SFがSFである必要性を感じるのは,
このようにSFでなければ描くことのできない,
世界とその問題を取り扱う場合のみである.
そしてそれが達成できたときに,
その作品は名作と呼ばれるのである.

実は,この作品はいくつかの賞を受賞していて,
ゼロ年代1位とまでいわれているのである.
私がこんな風に言わなくとも,
世間的にはすでに名作なのだ.

「伊藤計劃」という名前も何度も目にしていたけれど,
あまりに絶賛されているので,
敬遠していたところがある.
こればかりは自分の不明を恥じる.

しかし,ご存じのとおり著者は1年ほど前に
すでに亡くなっている.
残した長編は、この虐殺器官を含め
わずか3作しかない.

私は残されたあと2作を,
愛おしく読むことだろう.

そして彼の短編やブログを含めた
他の著作をまた探すことになるのだろう.
「伊藤計劃」は,それほど私にとって
大きな鉱脈なのである.

#今年中にこの記事が書けて良かった...

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