2011年3月31日木曜日

ベートーベン,交響曲第3番「英雄」: ベートーベンの交響曲にも「癒し」は存在する

毎日,祈るように原発のニュースを見ている.
現場で命がけで働いている人の苦労が
早く報われますように.

こうした状況だから,聴く音楽も
どんなジャンルでも,というわけにはいかない.
事実,ラジオからは,ヘビメタ系の音楽が
震災以降,聞こえてくることが少なくなった.
音楽くらい自粛する必要はないかと思うけれど,
やっぱりヘビメタは,今は聴きたくないな.

クラシック音楽であっても,
今現在,心にあう曲をさがすのは,
なかなか難しい.

日曜日にモーツァルトのレクイエムを聴いた.
そういう状況にいる自分が嫌になった.

そして手に取ったのが,

ベートーベン,交響曲第3番「英雄」

1960年代(?)のカラヤン&ベルリンフィルの録音である.

実は,父が5年前に脳内出血で倒れて
生死をさまよったときに,聴いて力づけられた曲である.
それは,勇壮な第1楽章や,葬送行進曲の第2楽章ではなく,
第3楽章であった.

この曲にあって,一番地味なこの楽章なのだけれど,
シンプルな構造が浮かび上がってきて,
それがなにかしら私を勇気づけてくれる.
あのときも,自分の中のなにかを埋めてくれるような
気がしたけれど,今回も心の状態が
少し回復できたような気がする.
強く励ましてくれる曲ではないけれど,
(だから今聴けるのだけれど)
優しく私の横にいて,安心させてくれる音楽である.

そして第4楽章.
シンプルな構造の力強さがますます表に現われて,
それが私を癒していく.
ベートーベンの交響曲には,「癒し」も存在するのだ,
とあらためて気づく.
ただ激情の音楽というわけではないのだ.
こんな時期だからこそ,ベートーベンが
求められるのかもしれない.


今朝は,アルヴォ・ペルトを聴きながら出勤.
少し穏やかすぎたようだ.
今はまた,ベートーベンが聴きたくなっている.

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