2026年1月10日土曜日

慈眼温容(1)

 私が一番にご恩を受けている合氣道のO先生のお話。

O先生はたいへんご自分に厳しく,自己を律していらっしゃった。しかし,あるときに藤平光一先生が,

「O君は,”春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む”ではなく,人に接するときも秋霜を以てしているね」

とおっしゃられたそうである。また,あるときには藤平光一先生自ら

慈眼温容

という言葉お色紙に書いてO先生に贈られたと伺った。O先生は眉間にシワを寄せる癖があったということである。

私はこのお話を伺った際には,「そんなものか」と思っていたのだけれど,最近,私自身も「眉間にシワを寄せる」癖がいつのまにかついていることに気づいた。

私はいわゆる人相が悪い顔立ちで,眉間にシワを寄せるなどしたならば相当イヤな印象になっているに違いない。そう思うようになったのは,私とすれ違う人が私に微笑むことが多いことに気づいたからである。特に米国出張のときなど,道行く人たちが私と目を合わせるたびにニッコリとほほ笑んでくれる。そして次の瞬間目をそらすと元の無表情な顔になって歩き去っていくのだ。この切り替えがあまりにもはっきりとしすぎていて笑ってしまうくらいである。

目があったら微笑むことは海外でよくあるマナーなのだけれど,あるときひょっとして私の人相が悪すぎるから,目があった人は「自分は敵意を持っていない」ということを表明するために私に微笑みかけることを意識的に(あるいは無意識的に)行っているのではないかと気づいたのである。たしかに街をあるいていて,ショーウィンドウなどに映る自分の顔をみると確かに眉間にシワを寄せて歩いている。。。

そこでO先生の「慈眼温容」のお話を思い出した。私もいつのまにか無意識に誰かをにらむような表情になっていたのだ。そのことにはちょっと前から気づいていたけれど,昨年末から本気で直そうと心掛けている。しかし,これがなかなか難しい。眉間にシワを寄せてしまうのは常日頃の心の在り方が根本的な問題であることに気づく。本当に根が深いと実感している。

2026年1月3日土曜日

2026年の目標(2025年の反省)

 新しい年が来た。私もとうとう数え年で還暦となった。昨年に立てた目標も当然のことながら,なにひとつ達成できていない。なんと夢も希望もない還暦なのかと思う。

しかし,毎日絶望のもとに生きているのかというとそうでもない。ネットの動画を楽しんだり,細々と合氣道の稽古も続けている。いわゆる小確幸はそこそこ生活の中にある。

私に足りないのは,長期的な視点に立った目標である。仕事,日常生活,体力,いずれも長期展望に欠けている。還暦を迎えたということはそろそろ自分の終わりを考える必要があるということだ。このブログでも何度もそのタイミングが来た,と書いている。しかし実際には目の前のことにあくせくして対応し,先のことから目をそらしている状態である。

ということで今年は,一日のうち,起きている時間の20%いや1時間でいいから自分のために使うことにしたい。加えてトレーニングも行いたい。これを第一の目標としよう。

<今年の目標>

  • 一日のうち1時間を自分のために使う
  • トレーニングを毎日行う

そして昨年からの目標をここに引き継いで書く。先のない人生,目標を達成することの重要性とその難しさを実感する。

<心の目標>

  1. 慈眼温容 ←昨年末から眉間にシワを寄せないように気をつけている
  2. 沈思黙考明鏡止水) ←これができないと心が仕事から逃げてしまう。。。
  3. 稽古三昧 ←とにかくこれができたら幸せ
  4. 玉簾不断(Mindfullness) ←年をとって集中が続かなくなってきた

<目標>

  1. 叶えたい夢を見つける」 ←いまだ見つからず
  2. 身体を鍛えて体重を5kg減らす」 ←体重に変わりなし
  3. 合氣道の稽古量を増やす」 ←全然増えていない。ひとり稽古を始めるか...
  4. 本を12冊読む」 ←2025年は2冊しか読んでいないらしい...それもオカルトと武道。
  5. 映画を12本観る」 ←2025年は15本観た。しかしどれも映画館ではなかった...
  6. 人生をもっと楽しむ」 ←昨年,生まれて初めて自分のために旅行をした
  7. 身体の姿勢に気をつける」 ←背中の筋肉と骨格の使い方に気づきがあった
  8. 終活をはじめる」← 全然進んでいない
  9. 誠実に機嫌よく生きる」 ←がんばろう。。。


2025年12月31日水曜日

「武術極意の本当の話。」が面白かった(2)

前記事の続き。

著者の近藤孝洋氏は,私が高校に入って武道を始めた頃から私にとっては気になる武術家で,当時はもっぱら太極拳の修行者であると認識していた(知る人は少なかったけれど。しかし,1980年代終わりごろには,「原説・太極拳」を出版している。こちらもかなり難解な内容である)。

しかし,私が驚いたのは,彼が動画で話しているところによれば,彼はあの伝説の書籍「鉄砂掌: 中国拳法・秘伝必殺」の著者である武術家・龍清剛の流れを汲む流派で中国武術を学んでいたということである(その他にも日本の武術も学んでいるとのことだけれど,師匠の名前はあいまいにしている)。それは過酷な修行であったと思われる。彼が若い頃に太極拳(陳家)の演武をしている動画も見たことがある。かっちりとした技をする人だと思ったことを覚えている。

本書で彼は,カルロス・カスタネダやインドの行者の言葉も引いていて,そうした観点から武術の極意を理解しようとされている姿勢も尊敬できる。近藤氏の考えでは,武術の極意をつかむには,武術の師匠だけでは十分でなく,霊性の師が必要だという。例えば,柳生には沢庵和尚,針ヶ谷夕雲には虎白和尚,山岡鉄舟には滴水禅師,植芝盛平先生には出口王仁三郎,藤平光一先生には中村天風先生,といった具合である。ある程度の境地に達したあとは,そうした精神的な指導者が必要なのかもしれない。

とはいえ,私はまだまだ自分の心のコントロールでさえもまともにできない,低次元のレベルでとどまっている修行者なのである。本書で解説されているレベルには到底届かない。こうした武芸書を読むと自分の未熟さがほとほと嫌になるのと同時に,武道というたいへんな人類の至宝とも呼べる文化に触れているということの幸運を感じる。

2025年12月30日火曜日

「武術極意の本当の話。」が面白かった(1)

最近,まったく本が読めていない。そんな余裕がない。しかし,本を読まない人生なんて,なんてつまらないものだろう,と私は思っているから,今年の自分を反省して,来年はぜひ小説を読みたいと思っている。

そんな中,少しずつ読み進めてきた本が, 

「武術極意の本当の話。: 古流剣術・古流柔術・古伝中国拳法の秘術の探究」近藤 孝洋 著

である。残念ながら小説ではなく,武術の解説本である。実は,購入したのはたぶん10年以上前で,その時以来,目を通すのは2回目である。

内容は,まず上泉伊勢守の新陰流の「転」から始まって,その弟子の小笠原玄信の奥義であるあの有名な「八寸の延び金」,そして,「無住心剣術夕雲流」の伝書「辞足為経法 中集」に言及し,その後,柳生十兵衛「月之抄」と柔術の「良移心当流」「起倒流」を解説し,最後には王宗岳の 「太極拳論」の解説で締めくくっている。

これは普通に読めばいわゆる「トンデモ本」の類なのだけれど(人間にはエネルギー体があるとか,マッハを超えるスピードを出すとか),著者の近藤孝洋 氏の見解が述べられていて,私にはとても興味深かった。前回読んだときにはわからなかった(想像できなかった)ことが,今回少しわかるような気がして,たいへんタメになる。近藤氏の表現はなかなか特殊だけれど,そこには一抹の真理があるように思われて,いろいろな見解があるものだな,と勉強になったし,ひとりの武芸者が現在たどりついた境地とはこのようなものかと感じ入った。もちろん,私などは到底及びもしない内容であり,境地なのだけれど(記事続く)。


2025年12月29日月曜日

私の冗談に学生は誰一人笑わなかった

 年をとると,くだらない冗談やダジャレをついつい口にしてしまうのも加齢のせいらしい。もう恥をかくことを避けようとする心,つまり羞恥心の働きが鈍ってしまうからとのことである。私も立派な老人ということになるだろう。

講義では,ときどき冗談や雑談をいうことにしている。講義内容はかたい話ばかりだけれど,雑談を交えることによって,学生の記憶が定着しやすくなると思っているからである(ときどき,雑談の方だけを覚えていて,肝心な内容を忘れている学生もいるけれど)。

今年,講義の中で言ったダジャレで記憶に残っているものを2つ紹介したい(この時点で私の羞恥心は働いていないことがわかる)。

1.電力の講義。三相変圧器の結線(巻線の接続法)の解説をしていた。Y結線,Δ結線と説明して,「まぁ,結線の講義は金曜日」と言ったのだけれど(電力の講義は金曜日。もちろんドリカムの「決戦は金曜日」という名曲を頭においてのダジャレ),聴講していた学生は誰一人笑わなかった。誰一人眉ひとつ動かさなかった。その日,心が折れた。(あとで調べると,聴講している学生は大学2年生で20歳そこそこ。「決戦は金曜日」の発売は1992年,彼らが生まれる前のヒット曲だった。仕方ない...)

2.これまた別の電力の講義。発電所の主力機器である同期発電機の解説。発電機の冷却には水素ガスが使われている*と説明したときに,「水素で,界磁巻線はキンキンに冷えている。カイジだけに」と言ってみた。数秒遅れて,学生たちの冷たい笑いが表情に浮かんだ。その日も心が折れた。(一応,カイジの名言は学生たちも知っていたらしい)

と,まぁ,やっぱりクオリティが低かった。。。

昔,日本原子力研究所に入所した際,新人研修で理事の話を聞いた。そのとき,「宮本武蔵は実は東京の小金井市出身」との”フリ”が講話の最初に入り,話の最後に「ところで武蔵はお通さんとの間に子供はあったのかな?」と後輩が尋ねてきて,理事が「いや,いなかっただろう。なぜって出身が「武蔵小金井(武蔵,子がいない)」だから」と答えたというオチで締めくくったのをよく覚えている。彼はその洒落を「駄ジャレ」ではなく,「秀ジャレ」と呼んでいた。このとき,私はそのオチに大笑いしたのだけれど,周囲の同期は誰一人笑わなかった。私は気を遣ってそのシャレに対して大笑いした,と思われたから,その理事の話が終わった後に,同期から「三浦は将来出世するよ」と言われたものである。でも私が大笑いしてしまったのは,愛想笑いでもなんでもなく,官僚から天下ってきたその理事が,そんなくだらない洒落をいって,なおかつ,秀ジャレと称していること自体が滑稽だったからである。(彼がそれを最初から狙っていたとしたら,相当な手練れである)

しかし,私が今年話した冗談も,彼が話した「秀ジャレ」レベルであると反省。

来年はもっと面白い「秀ジャレ」を思いつきたいものである。

*水素ガスが空気の代わりに使われている理由にはいくつかあるけれど,1. 比熱が空気よりもずっと高い,2. 熱伝導率も空気よりも良い,3. 空気よりも密度が低く,回転子の風損がずっと少ない,4. 不活性ガスなので絶縁物の劣化を抑えられる,5. 放電開始電圧が高い,などの特徴から冷却効率が高く,装置の小型化を望めるからである。

2025年12月27日土曜日

みすぼらしい老人の悲しみ

 年をとって悲しく思うのは,特に飲食店などにおいて邪魔者扱いされることである。もしかすると多くはそうではないかもしれないけれど,一部ではやはりそのように感じてしまうのである。

たとえばファミレス。まだ混む時間ではなく空いている席も多いのに,通されるのはやはり人目につかない店の奥の二人用の席ばかり。空いているのであれば,景色が良くて荷物もゆったりとおける窓際の四人用のボックス席に座りたい。しかし,私のような老人は,街ゆく人たちから見えないように人目を避ける席に案内されることが多い。若い女性であれば,窓側に優先的に案内される。まぁ,店の戦略として理解できるけれども,案内される方としてはやっぱり悲しい。

私がこのブログを書いているよく訪れるコーヒー店では店員さんはやさしいし,席も自分で決めることができるから,人目を避けるような場所にいつも座るということはないけれど(もちろん,いつも1~2名席に座ってお店に迷惑をかけないようにしているつもり),一方で客として来ているカップルの目が厳しいような気がする。特に男性側の目が怖い。確かにこのお店はデートで来るのに選ばれるようなお洒落な雰囲気だけれど,私のようにユニクロを着たダサいカッコをした老人が客でいたとしても,もう少し温かい目で見てはもらえないだろうか,と思う。若い二人にとっては,私などは「お目汚し」だというのもわからないでもないけれど。。。

もしかすると,おしゃれな老人であれば周囲の人ももっと優しくしてくれるのかもしれないとも思う。だが私にはそれはなかなかハードルが高い。。。これからも,おしゃれなお店では陽の当たらぬ席に生える雑草として生きていくことになりそうだ。。。

2025年12月24日水曜日

クリスマス・イブはもう聞いてしまった

 クリスマス・イブである。

毎年,この時期は自分の心の中で賭けをしている。それは,「山下達郎の「クリスマス・イブ」を聴かずに,クリスマスを迎えることができるか」というチャレンジである。

昨年は,なんとこのチャレンジを成功させている。われながら奇跡的!と思ったものである。

しかし,今年は11月末にはすでに聞いてしまっていた。それは,車中でNHKラジオの能楽師 野村萬斎がパーソナリティを務める番組を聴いていたときのこと,番組の終了時に「クリスマス・イブ」が流れてきたのである。

「やられた!」

不意打ちだった。野村萬斎の番組でヤマタツとは。。。そりやぁないよ!

ということで今年のチャレンジは早々に失敗に終わってしまった。ばかばかしいチャレンジだけれど,来年また挑戦しよう。

慈眼温容(1)

 私が一番にご恩を受けている合氣道のO先生のお話。 O先生はたいへんご自分に厳しく,自己を律していらっしゃった。しかし,あるときに藤平光一先生が, 「O君は,”春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む”ではなく,人に接するときも秋霜を以てしているね」 とおっしゃられたそうである。ま...