2025年3月29日土曜日

人への話しかけかた

 私は少なくない頻度で,見も知らない人に話しかけることがある。もちろん一番多いのは,学生相手だけれど,街中でも知らない人と会話を始めることが結構な頻度である。

街中では話しかけられて会話が始まることが多いけれど,学内では学生に私から話しかけることが多い。他愛のない話をするのである。

人に話しかけるときには,ちょっとした間(タイミング)が大切である。このタイミングを逃すと,相手に言葉が届かなかったり,届いたとしても相手が拒否する反応を起こすことになってしまう。相手がついつい会話に参加してしまうようなタイミングというものが,どうも存在するようなのである。

まずは相手に自分の存在を認識してもらうことが大切である。相手に突然後ろから声をかけたら,あるいは物陰から相手に声をかけたら,たぶん相手はびっくりしてしまうだろう。これではいけない。私がいるということをまずは相手に知ってもらわなければならないのである。

次に警戒心を持たれないようにすることが大切である。私などは人相が悪いから笑顔であることが必須である。敵意を持っていませんよ,と相手に表情,姿勢などで伝えることが必要である。もちろん,相手へ近づくときも,相手が認識できるように,そして真正面から向き合うのでもなく,斜め後ろ,あるいは横に並んで,同じ方向を向いて話しかけるなどの工夫が必要である。

そして相手の緊張が解けるタイミングで話しかけることが大切である。相手を見ていると最初私が近づくことによって緊張するが,敵意がないとわかると相手の無意識の緊張が解けるのがわかる。それから話しかけるようにするのが良い。

最後は,言葉のかけ方である。もちろん大声などで話しかけたら相手はまた私に警戒し始めるだろう。あたかもそれまで会話をしていたかのような雰囲気で話しかけるのがよいのである。相手もつられて会話に参加してくれる。それが理想である。

私は無意識のうちにこうしたことを行っていたと以前に気づいてから,もう少し意識的にそのスキルを磨きたいと思った。しかし,意識的に行うことがむしろ相手に緊張をもたらし,あまりうまくいかないことも多いことを知った。あくまでも無意識的に行うことが大切なのである。武道と一緒でなかなかに難しい。

2025年3月23日日曜日

会話の始めかた ~「いや,でも」~

 最近気づいたことがある。なにかしらのトピックについて会話を私から始めようとするとき,私のひとこと目が,

「いや,でも...」

という言葉から始まることが多いということである。もちろん,この言葉の前には会話がない。私は突然,「いや,でも」と話し始めるのである。

自分では無意識のうちに,「いや,でも,~って~ですよね」とか,「いや,でも,私思うんですけれど...」などと会話を始めるのだけれど,気がつくとかなりおかしな会話の始め方である。私にとっては自然でも,もしかして周囲の人は奇異に思っていたのかもしれない。

なぜ会話の始まりが,「いや,でも...」となるのかというと,あたかもそれまで会話が継続していたかのような雰囲気を作ることができたり,相手の中で思考が続いていることを想定して,そこに会話を挿し込んでいくような雰囲気を作ることができたりするためだと,自分では考察している。

会話のはじまりを突然「実は」とか,「少しいいでしょうか」などとすると相手が身構えてしまう。それを避けるために私は無意識に使っていたようだ。同様の目的で,「そういえば,~って~ですか?」という始めかたも私の会話には多い。

あたかもこれまでも親密に会話していたかのように,会話をはじめる私なりの工夫だったのだろう。しかし,それがこれまで無意識に行われたことに気づき,驚いた。気づいてみると,「いや,でも」の頻度がかなり多い。もう少し,へんな前置きの言葉なく,会話を親密な雰囲気の中で始めることができるよう,精進したいものである。

2025年3月22日土曜日

大福と日本酒

 長岡に来て土地柄もあって日本酒をよく口にするようになった。新潟の新鮮な海鮮や野菜,煮物から漬物まで,日本酒はいろいろな料理によく合う。最近ではおいしそうな料理をみると,日本酒と一緒にいただいたらどんなにおいしいだろうとゴクリと喉が鳴るようになっている。

もちろん,日本酒に合う料理,合わない料理というものがあるけれど,今回は意外な組み合わせをご紹介したい。それは,

大福と日本酒

である。私がまだ大学院生だった頃の話。武道の合宿に出かけた際,夜は当然のことのように畳の和室に車座になって宴会が始まった。誰かが日本酒の一升瓶を抱えてきて,乾きものをつまみに私もチビチビ飲んでいた。昼間の稽古は厳しく,身体はもうクタクタだったのを覚えている。

そこで誰かが「大福」が実は日本酒にあう,という話をし始めた。誰だったかは覚えていないのだけれど,「間違いない」という風に自信たっぷりに言われたので(あいまいな記憶だけれど),たっぷりと餡が入った大福を片手に,コップ酒とあいなった。

左手でほおばると疲れ切った身体に甘い甘い大福は本当に美味しく感じられた。そして右手でコップでぐいと酒であんこを流し込む。これが思いもかけないほどうまかった。「和」と「和」なのでもともと相性は良いのだろうけれど,身体がどんどん次を欲する感じがするほど美味しかった。ジャイアント馬場の大好物が大福だったという話を思い出す。疲れた身体には甘味と酒なのだ(馬場は下戸だったと記憶しているけど)。

ただこの食べ合わせには重大な問題がある。それは美味しくてついつい飲みすぎることである。案の定,私は翌日ひどい二日酔いになった。甘い大福で胃が持たれているのでそうとうたちが悪い二日酔いだった。貧血気味で立てなかったくらいである。しかしそこは武道の合宿。なんとか午前中の稽古を何度も吐きそうになりながら,横になりたいのを我慢して続けていたことは,今はよい思い出である。

疲れた身体に大福と日本酒。スキーに行った晩などにぜひ試してほしい。たぶん私が言ったことは正しかったと納得してもらえるだろう。ただしくれぐれも飲みすぎには注意してほしいけれど。

2025年3月16日日曜日

マダム・ウェブ

 「マダム・ウェブ」(2024, S・J・クラークソン監督,ダコタ・ジョンソン主演)

が,2024年のゴールデン・ラズベリー賞の最低作品賞も受賞したらしい。私自身も大きな声ではないけれど,心より同意する。

本作は映画館で観たのではないのでアクションシーンの評価はしづらいけれど,マーベル映画のスパイダーマン世界の話なのかと期待して観て,全然想像と違う...と思ったのをよく覚えている。

映画のあらすじとしては,ニューヨークの女性救命士があることをきっかけに未来予知の能力を覚醒させ,3人の女の子を悪の手から守り,自らの出生の秘密とも向き合うことによってマダム・ウェブになるオリジンストーリー。

と書くと女性たちが大活躍するアクションヒーロー物語,といいたいところだけれど,実際は中身が薄く,主人公のダコタ・ジョンソンの魅力だけで成立している映画だった。ストーリーが全く平坦で,本人の心情もそうだし,助ける3人の女の子の背景の掘り下げも非常に浅い。

マダム・ウェブというのは漫画の中ではすでにヒロインとして確立しているキャラクターらしく,その背景を知っている人にとっては興味深いストーリーなのかもしれないが,そうした知識がなければ,ただただ登場人物たちのエピソード紹介に終始する印象である。最終的には,3人の女の子とダコタ・ジョンソンは正義のヒロインたちになるのだけれど,結局その理由が腑に落ちない。正直観ていて「ノラない」のである。

ネット記事を読むとダコタ・ジョンソン自身もストーリーが最初のものと大きく変わってしまい戸惑ったとインタビューに答えているから,相当脚本が変更されたのだろう(ちなみに本作は最低脚本賞も受賞している)。

さらにダコタ・ジョンソンも最低女優賞をもらっているのだけれど,私は彼女のファンなので,それは許す(笑)。

ということで私の評価は久しぶりに厳しく,★☆☆☆☆(星1つ)。ダコタ・ジョンソンの魅力だけで星一個分。

2025年3月15日土曜日

Wolfs

 沖縄出張の機内で

"Wolfs"(2024,ジョン・ワッツ監督,ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット主演)

を観た。fixerと呼ばれるトラブル解決人の話。女性の地方検事が巻き込まれた男娼(ではないけど)とのスキャンダルの解決のために別々の雇い主から依頼されたクルーニー,ピットが演じるそれぞれ一匹狼の解決人2名が,薬物抗争に巻き込まれ,いつのまにか良いバディになっていくお話。

ストーリー的には甘々で驚くべきものはあまりないし,ツメも甘く解決されていない謎も多い。でもそれはどうも続編が制作されることが決まっていたからかもしれない。しかし,この映画は日本では公開されず,アメリカでも映画館で公開だったものがAppleの配信になってしまうなどの方針転換があって,ワッツ監督がAppleに不信感をもって続編を作ることを断念したとのこと。そのため,謎は謎のまま残されてしまった。これから,このビッグスター2名のバディものが続くのかという期待がつぶされてしまったのは悲しい。

しかし,私は十分にこの映画を堪能した。結局は,イケオジ2名の堪能映画であって,ふたりがいかにカッコよく,いかにダサいかを楽しむ映画なのである。そのため,たぶん製作費はギャラの他にはあまりかかっていないように思われ,アクションよりは各人のカットばかりが多用されている。それがまたいい。たぶん映画の本道を楽しみたい人にとっては物足りないのだろうと想像はするけれど,私にとっては二人の魅力で十分なのである。

ただ,この映画でもっとも目立っていたのは,とにかく走る男娼(ではないけど)Kid役の若い男の子かもしれない。

私の評価は★★★★☆(星4つ)!


#wolfの複数形はwolvesだけど,どうも一匹狼が2名ということでwolfsらしい。

2025年3月2日日曜日

その音楽は,あっているの?

 テレビを見ていたら,「本麒麟」のCMが流れて,アース・ウィンド・アンド・ファイアの"September”が聞こえてきた。思わず「なぜ?」とつぶやいてしまった。たしかに爽やかな曲調なのだけれど,なぜこの2月の大雪の時期に?そう思うのだけれど,どうも日本では洋楽の歌詞の内容はあまり重要視されないらしい。

このことを強く思ったのは,WBCの野球大会の放映のときである。WBCのCMが流れるたびにジャーニーの「Separate Ways」が流れるのである。この曲は私が洋楽を聴きまくっていた中高生の頃,すなわち80年代の前半に流行っていた曲で,男女が分かれて別々の道を歩んでいこうっていう内容だったと記憶している。それがなぜWBCで流れるのか?どんな意図があるのか?私には全然わからない。

野球選手の画面のBGMで「Separate Ways」が流れるたびに,意味は関係なく曲調がカッコいいというノリだけで流しているのだとしたら,と考えると聞いているこちらが恥ずかしく思ってしまうのである。どうせだったら,サバイバーの「Eye of the Tiger」とかに代えてくれたらいいのに。。。

流れる洋楽の歌詞が,番組やCMの内容とあっていない例はまだまだありそうである。そのたびに私は少し,「アレっ」て思うのだろう。

以前,カップヌードルの宣伝でクィーンやヴァンヘーレンなどが歌っている画像に日本語の替え歌をのせていたCMがあったけれど,そちらの方がずっとセンスが良いと思う。

2025年3月1日土曜日

私の好きなスープレックス

 現在の私は投げることはできないけれど,私はスープレックスが大好きである。

スープレックスとは,プロレスの神様,カール・ゴッチの定義によれば「後ろから相手の胴をクラッチして反り投げてブリッジで固めるもの」(Wikipediaからの引用)とのことであり,ジャーマンスープレックスホールドの派生技をいうらしい。

なので定義通りにいえば,ホールドを不要とする私の投げは「スープレックス」ではなく,単なる「サルト」であるらしい。そのうえクラッチするのは相手の後ろからとは限らないから,それもスープレックスの定義から外れている。しかし,多くの日本人が間違って呼ぶように,柔道でいうところの裏投げ風の投げ技をここではスープレックスと呼ぶことにしたい。

昔は私もスープレックスのために,ブリッジを稽古し,首ブリッジなどして首を鍛えたりしていた。しかし,投げるだけならばジャーマンスープレックスホールドのように首で支える必要もないので,スープレックスのために首を鍛えるのをやめた。ブリッジもずいぶん背筋力が落ち,身体を反る柔軟性もなくなってしまったので,現在はまともにできなくなってしまった。そう,現在の私にはもうスープレックスを投げる体力がない。

しかし,それでもスープレックスが大好きなのは,それが一投必殺の技だからなのである。相手の胴,あるいは腕ごと身体をクラッチして,受け身が取れない状態で後ろに反り投げをする。コンクリートの地面にたたきつけることになるストリートではもちろん危険極まりない技となる。ここでは自分はブリッジすることなく,自分の身体を相手をクッションにして守る。それが私のスープレックスなのである。

私が遣えたスープレックスは3種類(ちなみに前田日明は12種類と言われていた)。

まずバックドロップ。バックドロップは私の定義で言えばスープレックスで「ベリー・トゥ・バック」のサルトにあたるわけだが,柔道の基本的な裏投げでもある。有名な格言のとおり,「バックドロップはヘソで投げる」のである(ベリー・トゥ・バック)。バックドロップには多くの名手がいるけれど,私が好きなのはジャンボ鶴田のバックドロップ。鶴田が本気で投げたら,相手はすぐに失神してしまうのではないかと思わせる完成度である。もちろんプロレスの試合ではそれなりの気遣いをしているのだろうけれど。

次は,変形のフロントスープレックス。本来,フロントスープレックスは「ベリー・トゥ・ベリー」(ヘソとヘソをあわせる)で投げるわけなのだけれど,これは非常に背筋力を必要とする。プロレスラーだけでなくアマレスの選手が「ベリー・トゥ・ベリー」で投げるのを見るとゾッとするほど危険な技である。当然,私にはそんな風に投げることができないのだけれど,変形として相手の斜めの角度に入るのを得意としていた。

最後は,キャプチュード。前田日明のオリジナル技らしい。しかし,相手の片膝を抱えて投げるのは,空手の「バッサイ大」の分解の変形になるのではないかと私は思っている。バッサイでは,後方に投げないけれど...蹴りのサバキからの投げ技は古来存在している。

ということで,スープレックスを再び遣えるようになるまで体力を元通りにしたいというのが今年の目標である。現状,スクワット10回がつらいのだけど...

#こう考えると,レスラーや柔道家はいかに危険な技を遣えるのか,ということに思い至り,恐怖する


人への話しかけかた

 私は少なくない頻度で,見も知らない人に話しかけることがある。もちろん一番多いのは,学生相手だけれど,街中でも知らない人と会話を始めることが結構な頻度である。 街中では話しかけられて会話が始まることが多いけれど,学内では学生に私から話しかけることが多い。他愛のない話をするのである...