中国の人が驚くことのひとつに,日本人が漢詩を読めるということがある。レ点などを用いて日本語に翻訳して漢詩を理解する。そのことに大いに驚く人が多い。
ずいぶん以前のこと,中国の杭州,浙江大学を訪問した際に,研究室の方が西施にゆかりがある西湖を案内してくれた。そこには,蘇軾の読んだ漢詩が書かれた建物があって,その内容を日本人が理解することに大いに驚いていた。私などは,そんなこと中学校で習うよ,と笑っていたけれど,たしかに外国人が百人一首を読んで理解するのであれば,やっぱり驚くとは思う。ただ漢詩は中国語で読まなければ,韻を踏んでいることがわからず,せっかくこのラップ全盛の世の中でそれが理解できないのは残念である。
春になると思い出す有名な漢詩がある。「代悲白頭翁」の「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」がそれなのだけれど,もうひとつ私が思い出すのは,「春望」である。「国破れて山河在り」から始まる杜甫の五言律詩である。
春望 杜甫
家 書 抵 万 金
白 頭 掻 更 短
渾 欲 不 勝 簪
昔は覚えてそらんじることができたものだけれど,いまではすっかり忘れてしまった。年齢をとることによって,昔手に入れた宝物をどんどん失っているような気がする。
最近知って驚いたのは,私はこの詩を「しゅんもう」と覚えていたのだけれど,「しゅんぼう」と読むことの方が正しいらしい。