2025年5月11日日曜日

村上春樹「石のまくらに」

 村上春樹の短編集「一人称単数」の一篇である「石のまくらに」を読んだ。彼の作品を読むのは久しぶりだ。

主人公「僕」は,大学時代,アルバイト先にいた女性の送別会の夜,彼女と一夜をともにする。彼女は,好きな人はいるが,その人からは身体は良いが顔はちょっと...と評価されている。しかし彼女は彼が好きなのでいわゆる「都合のよい女」として扱われていた。そして彼女はもっと高い給料の職場を求めて主人公のバイト先をやめることになっていた。

と作品を読み進めていくと,「いつもの村上作品にでてくる都合の良い女なのか」と思い始める。「僕」は女性の名前も顔も思い出せず,一夜を過ごしたという記憶だけが残る。彼女のなまめかしい肢体と振る舞い,そして鼻の脇にある2個のほくろなどの思い出だけが語られる。

こうした女性は村上作品によく登場する。女の名前も顔も忘れるがエピソードだけが心に残っている,みたいなことが,「蛍」や「ノルウェーの森」の「直子」や,「羊をめぐる冒険」の葬式の女などで繰り返し語られている。

それはそれでよいのだけれど(女性からはこうした都合のよい女の存在が村上春樹を嫌う理由になっているけれど),本作では彼女が「短歌」を読むということが特徴的だ。彼女は歌集を自費出版して,その中の一冊(たぶん28番目の冊子)を主人公に後日郵送してきている。その歌集は素人のもので,世間的には全く知られないものであるけれど,「僕」はその中の8首が心にずっと残っているという。

この作品では,「短歌」が彼女の生きた証,記録となっている。村上作品として相変わらず女性については「死」のイメージが色濃く描写されているけれども,これらの短歌が彼女がこの世に存在したという示すものになっていて,少なくとも主人公にとっては忘れることができない理由になっている。

なぜか。それは「短歌」が彼女の生きざまから絞り出すようにして詠まれたものだからであり,そのことを主人公が理解しているからである。この作品では,作家(短歌の作者である女性と現在小説家である主人公)というものが,どのようにして「作品」をつくりだしていくか,その過程が村上春樹的な比喩を用いて語られている。私は,「作品」は生きていることの証として,すなわち「生存理由」として,命をかけて作られているのだ,という印象を受けた。

村上作品によくある「都合の良い女」という私の印象は,読後には一人の女性の生々しい生きざまを主人公とともに目撃したのだというものに変わっていた。村上春樹の作品はいつも複雑で感想を書くことが難しいのだけれど,この短編は女性の生き様をはっきりと意識させられるものとなった。


#タイトルの「石のまくらに」とは,「石のまくら」の上に首をのせて自分の心,命を差し出すという覚悟が,自分の言葉を(作品を)あとに残すためには必要だ,ということが書かれているので,作家としての覚悟と生き様を表しているのではないかと思う。

2025年5月10日土曜日

もういちど,知行合一。~ブルース・リーから王陽明~

 ブルース・リーの言葉に,

"Knowing is not enough; we must apply.
Willing is not enough; we must do."

というものがある。意訳をすると,

「知るだけでは十分ではない。それを適用しなければならない。
思うだけでは十分でない。それを実行しなければならない」

もともとはゲーテの著作にある言葉らしい。これを私的に,武道的意訳をすると,

「技を知るだけでは十分ではない。それを遣えなければならない。
技を遣おうと思うだけでは十分ではない。それを実際に遣わなければ身につかない」

さらに私的に哲学的な解釈をすると,

「知行合一」

ということになる。「知行合一」とは,私的には「知ることと行うことは同じでなければならず,真の理解とは実践が伴って初めて可能となる」ということになる。もともとは王陽明によって始められた学問である「陽明学」の重要な考え方の一つである。

しかし,これが日本に伝わって,江戸時代に広まったときには,武士道の理想と会い混じって,「思想即行動」という過激思想になってしまった。それは長岡の英雄 河井継之助や西郷隆盛など明治維新の急激な日本の変革者のモチベーションになってしまった。

こうした考え方は,国にとっては過激な変革となりあまり望ましくない気がするが,個人の変革のためにはたいへん魅力的な思想である。ただ真の理解は実践によって得られるものであるという言葉は,この年齢になっても耳に痛いものである。



2025年5月6日火曜日

指月の指と核融合とムーンショット

 「燃えよドラゴン」の冒頭,ブルース・リーはサモ・ハン・キンポーとの総合格闘技のデモ試合を行ったあと,少年にハイキックを教えることを通じて,武道の極意を伝えようとするシーンがある。

"Don't think. Fee_____l‼"

のセリフがつとに有名である。この言葉については多くの人が語っているし,そもそも武道としては基本の話だし(できるできないは別にして),そして「燃えよドラゴン」公開から50年以上経った今でも武道界隈ではこの言葉はミーム化しているので,私はここでは書かない(実際,なにかを語れるほど私は実力がないし)。

しかし,作中,この後にブルース・リーが少年に垂れる説教についてはあまり知られていないような気がする。

"It’s like a finger pointing away to the moon.
Don’t concentrate on the finger,
 or you will miss all the heavenly glory."
(ネットから拾ってきたので,詳細は間違っているかも。しかし大意はあっているはず)

これはもちろん有名な禅の言葉「指月の指」から来ているに違いない。「指月の指」とは,月を指さす指はあくまでも手段,方便であって,大事なのは月,すなわち真理,悟りである。「手段」にこだわって,「悟り」から遠ざかることを戒めた言葉だと私は理解している。いかにも哲学科に進んだインテリなブルース・リーらしいシーンである。

そんな理由もあって「指月の指」という言葉を私は大好きなのだけれど,世間的にも「指月電機製作所」という会社もあるくらい有名である(指月さんには日本原子力研究所時代お世話になった)。

さて話変わって,「核融合」(フュージョンエネルギー)が,内閣府が定めるムーンショット目標の10番目に選ばれた。ここで「ムーンショット」とは実現が困難な野心的な目標という意味で使われているらしく,どうもケネディ大統領が月着陸計画という壮大な目標を設定したことに由来するらしい。

しかし,この話を聞いて私は「指月の指」をすぐに思い浮かべた。核融合において「月」を指さし,みながゴールに向かって進むことができるのだろうか。「指」にこだわって「天上の栄光」(the heavenly glory)を見失ってしまわないだろうか。そんな心配をしてしまうのである。


2025年5月5日月曜日

イメージを共有できない呪術は効果がない

 最近,「感染呪術」と「類感呪術」という言葉を知って,呪術に関する考えがまた少し整理された。この二つの言葉は,どうも文化人類学者フレイザーによって提唱されたものらしいのだけれど,呪術がなぜ効果をもつかということを示唆しているように思えて,興味深い。

「感染呪術」とは,呪う相手の毛髪や爪,使用していたもの,息(!)などを用いて行うものであり,藁人形の中に相手の髪の毛を入れるとか,「ひとがた」の紙に息を吹きかけるとか,そうした相手につながる直接的なイメージを用いる方法のことであるらしい。昔の人が自分が出したゴミを残さないようにするのはこうした呪いから自分を守るためであって,例えば織田信長が切った爪を森蘭丸が捨てる話がよく知られている。

一方,「類感呪術」とは,「感染呪術」よりも一段階抽象度があがった,すなわち高度な呪術だといえるだろう。呪いだけでなく,マジナイとか縁起担ぎにつながる方法である。たとえば,安産祈願を「戌の日」に行うのは,犬が多産で安産であることが多いから,それにあやかっているからだといわれている。

そんなことをいったら,正月に食べるおせちだって,「エビ」は腰が曲がるので長寿の象徴だったり,「田作り」や「くわい」は「子孫繁栄」や「芽でたい」という縁起担ぎである。もちろん藁人形やブードゥーの人形のようにもう少し直接的なイメージを用いた呪いも「類感」といえるだろう。こうした似たものを用いることや抽象度があがった象徴として人間とは異なるものを用いるのは,思考によって縛られる人間らしい呪術であるといえるだろう。

しかし,こうした呪術は逆にいうと,呪う相手が自分と同様の類感をもつ,すなわち平たく言えばイメージを共有できなければ効果がないのではないかと思うのである。おせちを,えびやくわいの入った単なる豪華な御膳としてとらえるか,それを縁起物として食べるかでは,おせちの意味が異なってくる。また,おせちを用意してくれた人の気持ちを汲むことができるかどうかという違いにつながる。

呪いも同様である。ひどい話でいえば,犬や猫の死体を呪う相手の玄関先に置くという呪いがあるが,これだって死体を単に「生ゴミ」としか思わない人にとっては,効果を及ぼさないのではないかと思われる。

呪術というのは,私たちが「文化」という共通の枠組みの中で,イメージを共有する思念の世界でつながっていることによってはじめて効果を及ぼすものではないかと思うのである。

2025年5月4日日曜日

天国もやはり生者のためにある

 葬式は残された生者のためにあるということを以前に書いた。葬式とは逝ってしまった人からの呪縛を解くために行われるのではないか,と。

そして最近,天国というものも残された生者のためにあるのではないかと思いついた。天国というものが存在して,亡くなった人が天国に行っていて幸せに暮らしていると考えることができたら,どれだけ私たちの心は救われるだろうか。

もちろん,生者である私たちにとっても,死後の行き先として天国,極楽浄土があるということは,今生の苦しみから解放される「終わり」すなわち「死」があるという「救い」となっていることも理解できる。

しかし,天国の存在は自分たちの死後のためよりも,むしろ生きている私たちの現在の心の救いのために存在するのだ。私たちは逝ってしまった人に対する後悔を一生抱えていかなければならないが,ほんの少しでもその呪縛から救われるために天国が存在するのではないだろうか。

天国が本当に存在するのであれば,そんなに素晴らしい救いはないが。



#「死」によって天国・極楽浄土へ行くことがこの人生の救いとなるのであれば,みな自死を選択するだろう。しかし,ほとんどの世界で自死は禁忌とされている(日本の侍は自決することが許されていたが)。やはり自死が許されない理由がどこかにあるはずである。

2025年4月26日土曜日

人生MAXの値

 体重が人生MAXの値となっている。今の職場に異動してから,6 kg以上増えている。6 kgの鉄アレイの重さを想像してみると,あんなものを身体にいつもつけて動いていることになるわけで,身体への負担は相当なものになっていることはすぐに想像できる。

なぜ太ってしまうのか。それはとにかくストレスである。常にストレスに追われているから,生活のどこかで満足感を得て幸福を感じたいのだ。簡単に言えば,肉・揚げ物と甘いものである。

先日も研究室の飲み会で,焼き肉食べ放題のお店にいった。ビールでどんどん肉が胃の中に入る。満腹感はこのうえないストレス隠ぺいの手段である。実は前日にも実家でステーキをたらふく食べており,なぜこんなに肉がうまいのだろう,人間は肉食動物なのか,などと考えていたのである。

仕事に合間には甘いものが欠かせない。小さな仕事をひとつひとつ片づけていくたびに,チョコレート,ビスケット,芋けんぴ,かりんとうなどを食べる。ほっと一息休むときに茶うけを求めてしまうのだ。ときには「うぇ,あまーい」と顔をしかめるほどの甘さも求めてしまう。これも過剰な甘さでストレスを塗りつぶそうとする無意識の行動に違いない。

つまり,肉も甘いものも,その量を減らすには,ストレスを解消するしかないことがわかる。こんな論理の帰結は,何十年もわかりきっているのに,やせることができない。私はこの単純な結論を本当の心の底から理解していないのだろう。

「知るだけでは十分ではない、実行しなければならない。意志を持っているだけは十分ではない、行動しなければならない。」(ブルース・リーの言葉とされている)

この言葉を何度聞いたことか。そして「事上磨錬」を心の銘としようと思ったのはいつのことだったか。ダイエットできずして,こうした言葉を口にすることはできない。

そこにはない車のキーを回してしまう

 数か月前に車を買い替えた。いろいろ事情があって,10年以上,19万km以上乗った愛車を手放して,新しく車を購入したのである。

最新の車種であるので,当然スマートキーとなっている。車の鍵はポケットに入れたまま,ドアに手をかければ自動的に開錠されるし,そのまま運転席のボタンを押せばエンジンがかかる。車をかえて2,3か月。まだその動作にぎこちなさが残る。

しかし,習慣というのは恐ろしい。環境が変わっても無意識に動作を行ってしまう。車は替わったけれども,以前の車と同様の動作を繰り返してしまう。特に停車後,エンジンを止める際に,無意識にハンドル脇に右手を伸ばしてしまう。そして,そこには無いキーをつまんで回そうとする動作を行ってしまうのである。そしてそのたびに,そこにはなにもないことに気づいて苦笑する。やれやれ,と思う。

スムーズに車のエンジンをかけ,止める動作ができるようになるには,あとどれだけの時間が必要なのだろう。人間の無意識に染みついた動作の習慣を,シミ抜きのように薄くするのはそう簡単ではないらしい。そう思うと前の車と一緒に過ごした時間の長さをあらためて実感し,また愛おしく思う。

村上春樹「石のまくらに」

 村上春樹の短編集「一人称単数」の一篇である「石のまくらに」を読んだ。彼の作品を読むのは久しぶりだ。 主人公「僕」は,大学時代,アルバイト先にいた女性の送別会の夜,彼女と一夜をともにする。彼女は,好きな人はいるが,その人からは身体は良いが顔はちょっと...と評価されている。しかし...