2008年8月20日水曜日

音楽が立ち上げるモード

私はやっぱり朝はギリギリまで
寝ていたいと思うタイプなので,
出勤前の朝の時間に余裕はなく,
それなりに忙しい.

とはいえ,身だしなみをことさらに注意する,
というほどでもないし,
女性のように化粧をする必要もない.
その時間は,ただ,服を着替えて
家事を少々するだけである.

しかし,そんな5分から10分程度の
短い間であっても,できるだけ
自分の部屋のステレオで音楽を
かけるようにしている.
音楽を聴きながら準備をする.

今朝のCDは,Fazil Sayの
"Fazil Say plays Bach."
イタリア協奏曲がスピーカから
流れてくると,なぜかほっとする.

ほんのちょっと聴くだけでも,
頭の中に,なにか新しいモードが立ち上がってくる.
それは,ずいぶん脳に快いものらしく,
出勤前の緊張を和らげてくれる.

出勤の車に乗り込めば,
そのモードはすぐに他の考えの雑音の中に
埋もれてしまうのだけれど,実は一日中,
ずっと通奏低音のように維持され続けている.
このモードがあるとないとでは,
仕事への取り組み方も大きく違うような気がする.
朝にほんの少し音楽をインプットしてやるだけで,
一日の過ごし方が変わってしまうというのだ.
一体,どういうことなのだろうと思う.

音楽の力の素晴らしさは言うまでもないけれど,
たとえ数分間音楽を聴くことだけでも,
頭の中の状態は少し変化し,
それが一日のパフォーマンスに影響してしまう,
ということなのだろうと思う.
人間の心,いや脳というべきか,
そうしたものの複雑さ,繊細さを
あらためて考えてしまう.

とにもかくにも,まずはこれを習慣づけて,
続けていこうと思っている.
しかし,意外に選曲は難しく,
それはそれで困ってしまう.
一度,オネゲルの交響曲を朝に聴いたのだけれど,
どうも調子が出なかった.
やはり朝はバロックかシンプルな器楽曲が
向いているらしい.

0 件のコメント:

コメントを投稿

言葉が世界を単純化することの副作用

 人間がこれだけの文明を持つに至った理由のひとつは「言葉」を用いることであることは間違いないと思う。「言葉」があれば正確なコミュニケーションができるし、それを表す文字があれば知識を記録として残すことも可能である。また言葉を使えば現実世界には存在しない抽象的な概念(たとえば「民主主...