2010年1月15日金曜日

1995年春の神戸

1995年の春,プラズマ・核融合学会年会は
福岡工業大学で行われた.
私はその学会に参加したのだけれど,
福岡までの移動には鉄道を使った.
それは阪神大震災の被災地を一度目にしたかったからである.

学会は3月末の開催で,当時は新幹線で
新大阪から姫路まで(だったと思う)はまだ不通だったから,
まず東京から新大阪まで行き,
新大阪から普通電車に乗り換えて住吉まで行った.
そしてそこからバスで灘まで行き,
それからまたJRに乗り換えて姫路まで.
そこから新幹線で福岡まで行ったように思う.

途中,バスの車窓から見た神戸の風景は
本当に忘れられない.
長田だったと思うのだけれど,ずっと更地がつづいていて
(ところどころにコンクリートのようなものが残っていたけれど)
そこにあった街が人ごとごっそり無くなってしまった,ということが
信じられない思いをしたことを覚えている.

崩落して脚だけが残された高架橋も見た.
あのような光景を前にすると,胸が痛くなって,
言葉がなくなる.
そうした体験をあのとき私は,した.

あの春,神戸の姿を直にこの目で見ておいて
よかったと思う.
人間の生活と言うものが,あっという間に
震災によって崩れ去りうるということを
以来,心のどこかでずっと思い続けている.

私が見た光景は,震災から2ヶ月以上も経ったものであった.
実際に震災を経験し,すべてを目にした人たちのことを思うと,
なんといったらよいか分からない.

あれから15年が経つ.
1月17日にはいろいろと思うことがある.

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