2008年1月17日木曜日

13年前の今日

今朝は雪が舞っていた.
講義中も講義室の外に目をやると,
めずらしく白いものがちらちらと見て取れた.
真冬の寒波を実感する.

今日は1月17日.
13年前に阪神・淡路大震災が起こった日である.
当日何をしていたかは,今でもよく覚えている.

1995年1月17日,私はまだ博士課程の学生で,
東京大学の弥生会館で開催された
核融合のシンポジウムに参加していた.

当日は風邪で具合がずいぶん悪く,
寒気に耐えながら会場へ赴いたのを覚えている.

シンポジウムが始まったが,
核融合科学研究所のM先生他のみなさんが
到着していないことがわかった.
司会の方が,「大きな地震が関西の方であったようで,
新幹線が遅れているみたいです」と申し訳なさそうに話されていた.

私は体調も悪かったため,ぎりぎりまで寝ていて,
ほとんどテレビのニュースを見ずに下宿を飛び出していたので,
たぶんそれが初めて震災を知ったきっかけだったように思う.

シンポジウムのプログラムは変更されて
午前中の部が終了.
私は,具合がずいぶんと悪くなり,
指導教官のS先生にお断りして会場をあとにした.

そのまま大学近くの東急病院に向かう.
フラフラになって待合室にたどり着くと,
テレビが信じられない光景を映し出していた.
火と煙に巻かれた関西の街.
ヘリコプターからの映像だった.

情報が錯綜していて,被害がどれだけのものか,
だれも把握できていなかった.
テレビを見ていても,どうなっているのかよくわからない.
ただ,これまでに見たこともないほどの
大きな災害であることだけはすぐにわかった.

風邪薬をもらって家には帰らず,大学の研究室へと行く.
研究室の学生にも震災のことを知らない人がまだいた.
みなで,テレビやラジオからの情報に釘付けになった.

実は,そこからの記憶は無い.
だがその後次々と入ってくる被災の状況に
本当に怖くなったことだけは覚えている.

私の前の職場の同僚に大阪大学出身の人がいた.
彼は当日学校に泊まっていたのだという.
(修士論文のため,研究室にしばらく寝泊りしていたのだとか)
研究室もずいぶん揺れたらしいけど,
とりあえず自分の身は安全だった.
しかし,アパートに戻ってみるとアパートはつぶれていたらしい.
そんな話をよく聞く.

家まで何十kmをあるいて帰ったとか,
一週間頭を洗わずにいてかゆかったとか,
度合は違えども多くの方が被災された.

東京の大学にはいたけれど,
ちょうどその時期に大阪に家族だけが実家に戻られていて,
妻と子を亡くされた方などの話を聞くと,
今でも胸が痛くなってしまう.

実際に私は経験していないので,
生々しい印象はない.
しかし,その3月に九州で学会があり,
JRで移動した途中の長田の光景は忘れられない.
少々の残骸はあったけれど,
広大な更地が広がっていた.
高速道路の脚の上部もなかった.
よく災害のつめ跡というが,
本当に化け物が町を蹂躙したあとかと思った.

実際に被災された方にとっては,
決して忘れることのできない出来事であろうが,
私の中ではやはりどうしても記憶は薄らいでいく.
その忘れいく記憶を少しでもつなぎとめるために,
今日は当時の思い出を書き残しておく.

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