藤平光一先生がお亡くなりになったとの
ニュースを聞く.
心よりご冥福をお祈りしたいと思います.
藤平光一先生にご指導をいただく機会は
そうそう多くなかったけれど,
それでも学生時代から少しばかり長く
稽古を続けているおかげで
何度も手を取り教えていただいた.
どれも素晴らしいご指導をいただいて,
良い思い出である.
ある講習会でのこと.
「三浦さん」と藤平先生に呼ばれて,
皆の前に出て一教の抑えについてご指導を受ける.
(すみません,このあと少し専門的になります)
一教の抑えというのは,
相手をうつ伏せにして片方の腕を伸ばし,
その腕の手首を極めて相手を動かなくするのが
最初に習う抑え(固め)の方法である.
しかし,その手首は実は極める必要はなく
(相手に痛みを与える必要はなく)
単に腕を上から両手で抑えるだけでも
相手を動かないようにすることができるのである.
そのかわりに少々の(どころではないけれど)
技術が必要となる.
まぁ,そこまでは理解できるのだけれど,
藤平先生にかけていただいた技は,
こちらが全く動けない,完璧なものだった.
いや,正確に言うと,
「動こうという氣が起きない」ので
動けないのである.
ここまで技というものは洗練されたものか,と
固められたまま,私は感動していたのだけれど,
そのうち藤平先生が,
「これで相手の氣を切ってしまえば...」
とおっしゃって,私の手のひらの上に
先生の親指だけをそっと置かれたのである.
つまり,私はうつ伏せで手のひらを上に向けた状態で
左腕を伸ばしていて,藤平先生はその手のひらの上に親指を
そっと置かれたのである.
当然私は動けるのかと思った...が,
それが全然動けない.
自分でも信じられなかったのだけれど,
藤平先生の親指一本で私は抑えられていたのである.
こんなことは,小説の世界でしかありえないと思っていた.
たとえ,誰かが私の目の前で
このような状態にされていたとしても,
私は信じることができなかっただろう.
けれど,他でもない,この私が抑えられたのである.
信じるしかなかった.
なんという合氣道の奥深さ.
涙が出るくらい感動した.
案の定,そのとき講習会に参加されていた
他の師範の先生方から,あとで
「どうなの?」といろいろ聞かれた.
私も興奮して説明して回ったのを覚えている.
あの体験がなければ,今の私の合氣道は
また違ったものになっていたと思う.
藤平先生にご指導を受けるたびに,
このような感動をいただいた.
先生の教えは私の体の中に埋め込まれ
いつか花開くことを待っていると信じている.
もうあのお優しいご指導を受けることができないかと思うと
本当に悲しい.
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