今年の目標のひとつに,「姿勢を正す」ということを挙げている。私が稽古している合氣道では特に「正しい姿勢」ということを重視するので,それほど短くはない期間稽古している私としては(そして,それなりに指導している身としては),「いまさら何をいう」というテーマではあるけれど,正直にいうといまだ手探りで「正しい姿勢とはなにか」を探っているのである。
「正しい姿勢」の定義として,「長時間保つことができる姿勢(リラックスしている)」,「安定した姿勢(どこにも力が滞っていない)」などが考えられるのだけれど,私がこれまで「そうだ」と思って取っていた姿勢ではまだ不十分ではないかと昨年末から思い,それ以来工夫をし続けている。
数十年稽古を続けていたのに,なぜ今になってそう思い始めたかという理由は,「内臓への負担」である。昨年,今年と身体,特に内蔵の不調が続いていて,腹部の痛みを緩和しようとするために姿勢を工夫していたら,今までの姿勢に比べてより内蔵に負担がかからない,楽な姿勢があることに気づいたのである。その姿勢をとるとたしかに腹部が楽になるように感じる。
この姿勢が正しいのではないか,と考える理由のひとつが,「首が安定する」ということである。これまでの姿勢でも首が十分に安定であると思っていたのだけれど,強く「突き」を行ったときなどに首から頭にかけて反動が伝わっていた。サンドバッグなどを強く打つとそれなりの反動を首が受けていた。そして実は普通に空突きをしても反動がある。それが普通だと思っていたから気にもしなかったのだけれど(昔は首も鍛えていたから),上記の姿勢を工夫するようになって首がより安定して,反動の衝撃が小さくなることに気づいた。これはいい。インパクトを考えていろいろな種類の突きを試すのだけれど,どの突き方においてもより首が安定するような気がする。
具体的にこの姿勢を言葉で表そうとするならば,「背骨が立っている」ということだろうか。「仙骨を立てて,背骨も立てる」。もう何十年も聞き続けている言葉であるけれど,いかにこうした感覚を人に伝えることが難しいかということをあらためて思う。中国武術でも「立身中正,沈肩墜肘,含胸抜背,尾閭中正」などというけれど,自分がとっているものが本当の正しい姿勢がどうなのかはわからない。本当に正しいという感覚は自分で比べることができないからだ。
結局,武術の世界においては,「正しい」姿勢・動作というものを手探りで探っていくしかない。たとえ師匠が言葉で,そして身体で示してくれたとしても,自分は師匠とは思考が違い,経験が違うためにはじめから同じことを行うことはほとんど不可能である。「最高」の姿勢や技を身につけることはたいへんに難しいのだ。でもだからこそ,武術は面白い。武術を学ぶということは,師匠の教えを理解するために,そこにある哲学,そして文化的背景を学ぶことであり,答えは自分で見つける作業なのだとつくづく思う。
#以前に武道の先生から私にいただいた年賀状に書かれていた言葉が身に沁みる。稽古は常にふりだしから始まる。
「稽古とは,一より習ひ十を知り,十よりかへるもとのその一」
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