2023年8月11日金曜日

いかに死ぬかということはいかに生きるかということと同義

 大学時代の恩師に会った。もう年齢は70を越えられているけれど,まだまだお元気で,今もいろいろな技術的な課題に取り組んでいらっしゃる。大学3年生のときに「電力工学」の講義でお会いしたのが初めてだから,もうかれこれ35年以上ご指導をいただいていることになるけれど,いまだに多くの示唆をいただいている。本当に有り難いことである。

一方,私は引退したらどんな生活を送っているのだろうと想像してみる。

この業界から身を引いているかとは思うけれど,では次に何をして暮らしているのかが全然想像がつかない。年金暮らしではやっていけないだろうから,なにかしら生活の糧を稼がなければならないのだろうけど,何をして生きてゆけばよいのか,現在模索中なのである。

職業も考えなければならない。65歳を過ぎたジジィになにができるのか。プログラマーはちょっと難しそうだし,動画編集も10年後はAIがやってくれているだろう。Webデザイナーだって,私のデザインよりはAIの方がずっと良さそうだ。AIに代わられない手に職をつけるのが良さそうだけど,不器用だし,どれがよいのかもわからない。今から修行すれば10年後には少しは技術が身についているだろうか…などと考えているのである。

もっと深刻なのは,老後の日々の楽しみをどうするかである。私のようにCreativeな趣味がない男には楽しみがない。夢がない。そう,夢も現在模索中なのだ。まずは現状,人間関係が希薄だから(仕事関係くらい),もっと他のコミュニティに所属するようにしたほうがよいだろうか…,などと考えている。

本当に悩みは深刻なのである。

70歳くらいまでは私も生きてみたいと最近思うようになった。そして,どのように死ぬのがよいのかも考えるようになった。しかし,それでわかったのは,「いかに死ぬかということはいかに生きるかということと同じ意味である」ということである。そう思うようになって,悩みはますます深くなっている。

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