今年もお盆が始まった。
お盆は,先祖をあの世からお迎えして供養をする行事,期間である。本当に祖霊が帰ってきているのかもしれないし,ただ生きている人たちがそう思って供養をしているだけなのかもしれない。
しかし,このお盆はこれまでの日本の家族型社会で重要な役割を果たしてきたように思う。私の家ではここずっと,お盆の季節に親戚が本家に集まるということはしなくなってしまったけれど,昔はおじさん,おばさんの家族が一同に集まって,一年に一回は顔合わせをしていた。酒と料理を楽しみながら,その一年の間になにがあったのかという話に花が咲く。いま思うと素敵な行事だったと思う。もちろん,皆を招く本家のご苦労はたいへんだったと思うけれど,いとこなどの結婚によって初めて知る親戚などもいて,それはそれで楽しかった。
こうした情報交換の機会,そして結びつきを強める機会は,家族を中心として成り立ってきた社会では,たいへん重要なことだったと思う。親戚という比較的強めな社会的なカップリングは,親の介護,親をなくした子供の面倒などを行う上で大きな役割を果たしてきた。今,それがなくて困っている家族も多いのではないだろうか。もちろん,それ以外のしがらみ,負荷の多さも大変だったから,親戚づきあいがなくなってせいせいしている人も多いのだろうけど。
死者を縁として,親戚を一同に集め,交流を深める。それが良い方に機能していたから,この「お盆」という行事は続いてきたに違いない。しかし,この数十年でその行事が煩わしく,良いように機能しなくなってきたために,「お盆」は廃れていく方向にある。また,昔に比べて兄弟の数もめっきり少なくなって,親が亡くなったあとはその兄弟の関係も疎遠になってしまうことが多い。そうやって,この社会は孤立した人々で構成されるものになっていくのだろう。人口減少,高齢化のこの日本において,どうやって社会的なつながりを維持していくのか,かなり難しい問題のような気がする。
私も親の墓参りには行こうと思う。親戚の交流会としての役割のお盆はなくとも,親を偲ぶ機会としての個人的なお盆はこれからも私にとっては大切なのだ。
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