2023年8月16日水曜日

質量密度を感じさせる存在感ある肉体が欲しい

 配信ドラマ "Jack Reacher"で主役のJackを演じるアラン・リッチソンの肉体が素晴らしい。最近,彼の肉体に憧れている。

私は「北斗の拳」でもラオウのファンなのだけれど,それはとにかく剛拳を振るう肉体を持つからである。私は「鋼の肉体」が欲しいのである。

私の考える「鋼の肉体」というのは,単に筋肉がついていれば良いというものではない。まずは「遣える筋肉」ということである。やはり格闘技がベースであって動ける肉体が前提である。その点,ボディビルダーの筋肉はちょっとtoo muchな気がする。筋肉の「密度」が低い印象がある。この辺はあくまでも個人的な印象なのだけど。

たとえば肉体派俳優といえば,A. シュワルツェネッガーやD.ジョンソンを思い浮かべる人も多いと思うけれど,私の印象ではちょっとA.リッチソンの肉体に比べて筋肉の「密度」が低いような気がする。

そして「鋼の肉体」というのは,鈍重な「鉄」ではなく強い「剛性」をもつ「鋼(はがね)」なのである。しなやかな「弾力性」を感じさせなければならない。「マイティー・ソー」のクリス・ヘムズワースも神様らしいギリシャ彫刻を思わせる肉体を作っているけれど,まだ剛性に足りないように思う。

しなやかさだけであれば,たとえばブルース・リーのあの無駄を落としきった肉体もあるけれど,あのくらいだと筋肉のバルクが逆に足りない。どうも私が憧れる肉体は東洋人には無理なような気がする。東洋人で筋肉のバルクを増やすとどうも「密度」が落ちる。たとえばヤン・スエのように...(彼のことは好きだけれど)

ジェイソン・ステイサムの肉体も少し格闘技にチューニングし過ぎで,バルクが足りない。チャック・ノリスの肉体も同様だ。肉体が格闘技すぎると色気が不足するような気がする。

さらに「質量」を感じさせる肉体であってほしい。「質量」というよりも「重力場」というべきか。その人がいるだけで周りに「場」があるように感じられる肉体がいい。まるで夢枕獏の比喩のように,存在自身が意味をもつようなそんな肉体。それが理想である。

存在するだけで意味を持つような「鋼の肉体」。私のように存在感のない男には,遠い憧れの肉体なのだ。

#Tシャツ一枚でサマになる肉体だったらどんなにいいだろう。夏は衣服費が少なくて済みそうだし。

#ふりかえって自分を考えると,最近はあぐらからまっすぐに「立つ」こともできないほど身体が弱ってきた。稽古しなければ...

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