最近,どうもYoutubeの動画を見ることが多くなって,本を読む機会がめっきり減ってしまった。もちろん,「本」というのは,教科書やノウハウ本ではなく,小説を指す。もちろん忙しくて読書の時間がうまく確保できないこともその理由のひとつだけれど,加齢と過労で長時間本を読む集中力が損なわれてしまっていることも大きな理由のひとつである。もう本を開いてじっとページに集中することができなくなっているのだ。
次々と紹介されるYoutubeのショート動画やXの動画は自分で選択することのハードルが 低く,私は見ているうちに刺激の垂れ流しに慣れきってしまった。自ら意欲をもってコンテンツに集中することの訓練ができていないから,長時間の動画を見ることも億劫になってくる。まして読書などに意欲をもって取り組むことは,脳の負担が増えるためか無意識に避けるようになってしまった。
しかし最近,本を読まなくなって心がやせ細ってしまったような感覚が確かにある。自分で文章を書こうとしても事務的な,あるいは理系的な文章しか書けず,以前のようにこのブログのような内容を書くことが難しくなりつつあるのだ。小説を読んで思うのは,ストーリーだけが大事ではなく,作者の文体(語り口)がその世界をつくる大きな要素となっているということである。その文体によって描かれる雰囲気によって包まれた世界の中で,登場人物たちが活躍するのである。その語り口が感じられないショート動画では,その世界に触れることができないのだ。そうした文体を感じる機会が少なくなってしまった現在,私の創造力が欠乏し,心がやせ細ったのである。
作者が創造した物語の世界を感じることこそが読書という行為の醍醐味であり,たとえストーリーが単純であっても,その世界に没入できれば私たちの心は変容することできる。その世界を構築するのは,ストーリーやその設定だけでなく,作者の描く登場人物たちの何気ない会話や行動,そしてその雰囲気を醸し出す文体なのだと思う。また,こうした世界は作者によって構築されるけれど,実はそれだけでは不十分で,読者の想像力によって心の中に再創造される。すなわち,受け取り手である読者の能力によってその世界のリアリティと緻密さが変わるのである。私は忙しさに心が枯れ,このような能力が失われてしまった...どんなに短い時間でもそうした創造世界に没入できる時間を作りたい。
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